子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

理科の問題、どう教える?(文系母編)

小3息子が、理科の問題を前に、うーんうーんと唸っている。

「モンシロチョウの幼虫が食べるものを選びなさい」という問題。例として、アブラナとダイコンが出ていて、もうひとつを選びなさい、というもの。「バッタの特ちょう=虫」の男にはハードルが高い。

こういう、知ってないとどうにもならない問題を教えるのって難しいよなあ、とまず思う。どんなアプローチするのがいいんだろう、と思いつつ、「まあまずはアブラナとダイコンの情報を集めて共通項を見つけてごらん」と言ってみる。調べようにも植物図鑑的なものがないので、国語辞典で調べる息子。(と、うちの本棚やっぱり相当かたよってるな…と内心で思うわたし。)

しばらくして、息子は「ふたつともアブラナ科だった。ということは、アブラナ科の植物を食べる可能性が高い」と、選択肢に上がっている植物を、端から調べ始めた。なかなかにまどろっこしい。他の選択肢は「ミカン」とか「ニンジン」とかなので、(この選択肢だったらコマツナ一択…!)と心の中でつっこまずにはいられない。ミカン、木だし…

結局、息子はどうにかこうにか答えにたどりついた。たぶん、「コマツナアブラナ科である」ということは忘れないだろう。しかし、コマツナの形状や、どんな風に生えているのかを知るのは次のステップだ。(一応冷蔵庫に入ってたのを見せたけど、へーほーふーん、という感じだった…涙)

「分からない問題にぶつかったらできる限りで情報を集める」とか「その情報を並べて比べてみる」「共通点、相違点について考える」といった、考え方の手順みたいなものは、わたしでも手渡せる。でも、わたしが理科系だったり植物好きだったりすれば、もっと関心をもてるようなアプローチができるのかもな、と、ふと思う。

もちろん親が全部カバーする必要はぜんぜんないので、そこは学校の先生におまかせすればいいのだろう。でも、子どもが「おっ、面白い!」って思う瞬間に、もっとたくさん居合わせられたらいいのになあ、とも、やっぱりどこかで思っているのだ。

図工の先生

兄の学校の公開日。
図工の授業を見に行ったら、図工専科の先生の言葉がいちいちかっこよかったのでメモ。

①「こうだろうと思って描かないで。見て、見て、見て!」
クロッキーの授業。文房具や人物モデル(先生と、立候補した子ども)を5分とか7分とかで描くというもの。教室を回りながら、先生が何度も「こうだろう、って頭の中で思ったことを描くんじゃなくて、見たものを描くの」と声をかけていた。「今よく見て。ここからだと目は片方しか見えないでしょ?そうしたら片方だけを描くの」「頭の中を描くんじゃないの。見えたものを描くの。」「見て、見て、見て!」と、いろんな子に、くり返しくり返し。

②「今何人かの子が悲しい気持ちになった」
女の子がモデルになって前に出た時に、独り言みたいにからかいの言葉を投げた子がいた。先生がすかさず、「今あなたが何となく投げた言葉で、何人かの人が悲しい気持ちになったことに気づいてる?」と言葉で制した。「投げた」っていう言葉と、「◯◯さんが」じゃなくて「何人かの子が」っていう言葉。

③「待ってくれるかな」
クロッキー中。先生がひとりの子の机の前を通りかかって視界を遮る形になったときに、その子がすかさず「先生見えません」と言った。先生は、さっと通り過ぎてから「うんごめん。だけどさ、一瞬じゃない?先生が通り過ぎるの。待ってくれるかな、そういう時」ってさらっと言っていた。

どれも、何よりその先生の人となりが分かる言葉だと思った。一人の人が、その場で感じたことを言葉にしている感じ。(学校の先生って案外そういう発話が少ないんじゃないかな、とも思う)

そういえば、わたしのこれまで出会ってきた図工(&美術)の先生も、他の教科の先生とちょっと違う雰囲気だったな、と思う。自由さとか、大人っぽさとか、本質を知っている感じとか。

「頭の中を描くんじゃない、見て!」なんて、なかなか聞けないけっこうだいじな話だと思う。いい話をしてもらってるんだな息子は、と思った。そういうのを湯水のように浴びて、そして忘れる(笑)というのが初等教育のベストな形なんだろうなー。

困らないように

次男の保育園の保護者会で、近隣小学校(兄の小学校)の校長先生からお話を聞いた。

「就学前に身につけておいてほしいこと」の話がメインだった。あいさつと返事がしっかりできるように、言葉遣いを丁寧に、自分の非を素直に認めるように、早寝早起きできるように…etc。「これができていれば、学校生活には困らないと思います」と校長先生。

うーーん、と思う。ひとつひとつに異論はないんだけど、どうも、聞いててテンションが上がらない。配布されたプリントには「楽しく学校に通えることが一番です」と書いてあるんだけど(一瞬ブラックジョークかと思った…)、これをできるようにしておいてください、というリクエストばかりで、「あー学校楽しみ!」という感じにならないのだ。他のお母さんたちも、こりゃ大変だという顔をしている。

やや固い雰囲気の中で、ふと、(この先生は子どもたちをどんな方向へ導いていきたいのかな)と興味がわいた。学校教育目標でもいいんだけど、どちらかというと個人的な思いを聞いてみたいと思った。そこが見えないから、なんかつまんない、息苦しい、と感じるのかもしれない。

そう思って質疑応答の時に聞いてみたら、校長先生からは、「社会に出た時に困らないような力を身につけさせたいです」という言葉が返ってきた。「困らないように」2連発だ。学校で、社会で、困ら「ない」ようにして、何が「ある」ようにしていきたいのか。…聞きたかったけれど、聞けなかった。

校長先生の回答を聞いて、「これじゃあテンション上がらないよなー」と思った。でも、わたし自身が「困らないように」を行動の基準に置いているときだって、たくさんある。これは、外側から単純に責めることはできないんじゃないか?

そんなことを考えながら帰宅したらちょうど、小3の兄が「下校班でのきまり」を作成中だった。「〜しないこと」全20か条のべからず集だ。教育の効果は恐ろしい。


校長先生とわたしは同じなんだと思う。(そしてもしかしたら兄も)。
実は来ないかもしれない「困る」に対して、防御したり回避したりしようとする。それとは別に心のどこかで「これがいい、こっちがいい」という願いは持ってるんだけれど、それは言葉になっていないし、前に出てきていない。そうやって、本当はあるはずの宝物が、いつのまにか埋もれていっている。

その、表現していない願いの部分を、これから話していきたいと思う。校長先生とも、担任の先生とも、親同士でも。「学校創立の志」なんかなくて、ビジョンが見えにくい公立小学校だからこそ、そういう対話が根づいたら面白くなるんじゃないかな、と妄想している。

お母さんに期待すること

今わたしの勤めているNPO法人では、年に数回、自分のワークとライフの棚卸しをする機会がある。

団体のミッションビジョンに対する考えや、それを業務の中にどう落とし込み、達成までどんな道のりを描いているのか、個人としてのミッションや大切にしたいことなどをワークシートに記入し、シェアしあう。ひとりひとりが抱えているもの、見ている方向をまるごと知る/知ってもらうことの効果は計り知れないものがある。

個人のミッションについての項目の中には、母として、子ども達に対し、どんな貢献をしたいか、そして、子ども達自身がわたしに対してどういう役割を期待しているかという設問があった。そこで子ども達にヒアリングしてみることにした。

とはいえ「お母さんに期待することは何ですか?」って聞いても答えにくいだろうと思い、「これからやりたい、やる必要があると思っていることで、お母さんにサポートしてほしいことを教えてほしいんだけど」と投げかけてみた。ふたりとも、ん?という顔をしている。

「お母さん、なぜそれを知りたいの?」と兄。(兄は、質問の前提や枠組みをクリアにしてから答えたい人なので、よくここを問われる。)

兄に問われて、なぜだろう?と考える。「書けって言われたから」という身も蓋もない言葉が一瞬よぎる(笑)。少し考えてから、「お母さんは、君たちふたりにこうしてあげたい、こんな風にサポートしたい、って思ってやってるけれど、ふたりはどう思っているのかを知りたい。それはいらない、っていうのもあるだろうし、これをしてほしい、っていうのもあるだろうし」というようなことを答えた。

すると兄からは、「お母さんは教育に興味があるので、いいと思ったことをやってくれればいいと思う」というすごいメタ視点の回答が来た(笑)。わたしがどこか「実験ー観察」のテイストを子育てに持ち込んでいることを、兄は感じ取っているのかもしれない。ちょっとはっとさせられた。

弟からは、「お・か・あ・さ・ん!って感じでいてほしい」と、単刀直入な回答をもらった。「お・か・あ・さ・ん」って言いながら、わたしの体をかたどるような仕草を両手でしていて、それが「あなたのままで」と言われたような気がして嬉しかった。

実は、「怒らないでほしいー」とか、「テレビの時間を増やして」とか、そういう感じでリクエストが来るのかな、とちょっと思っていたのだ。別にそれでもいいと思っていたけれど、そうだったらちょっとがっかりしちゃうかも、なんて思っていた。

そうやって、勝手に子どもを小さく扱っている時に限って、彼らは予想のはるか上にボールを打ち込んできてくれる。そして、そんなパワフルな子ども達に、わたしは何度も救われているんだと思う。

小3男子のノート術(笑)

昨日、「算数のノートが終わりそうだから買ってほしい」と長男からリクエストがあった。算数のノートはもう3、4冊目なのだけれど、そういえば他のノートを「買って」と言われた記憶がない。

ちょーっと見せてくれるかな?と理科のノートを見せてもらった。

…8ページしか使っていませんでした。(1月13日現在)

きっちり書いてあって8ページ、ではもちろんない。

10月1日の「太陽について」のページは、ぎっしりと実験の結果や気づいたことについて書いてある。イラストもついていたり、矢印や囲みを使って図式化していたりと、とてもアクティブなノートになっている。一方で、9月14日のページには、ひょろーっとした文字で「ホウセンカ」って書いてあって、それで終わり。ねえ、ホウセンカが何?ホウセンカどうしたの?(涙)

他にも「バッタの特ちょう…虫」(以上)とか、予想の斜め上の記述が続くので、ついつい熟読してしまった。2学期の半ばくらいの所に、先生が赤い字で「ノートは頭の中を表します。ていねいに」って書いてくださってて深く頷く。うん、たしかに、頭の中を表している…好きなことにはがーっと集中するけど、興味ないものについては目に入ってすらいない感じとか。

でもまあ、確かに8割がたは本人の問題だとは思うんだけど、2割くらいはそうとも言えないかもな、とは、ちょっと思った。

今、学校でもアクティブラーニングがどんどん入ってきていて、「先生と生徒のやりとり→先生板書生徒は板書をノートに写す」といった、オールドスタイルのノートの取り方はしなくなってきている。一方で、討論したり実験したりグループワークしたりする場でのノート活用方法&ノート指導については、まだまだ試行錯誤中、というところなのかもしれない。なにかしながらさっとノートを取る、というのは、子どもにとってなかなか高等テクニックなのだ。

(ちなみに今の学校の授業では、ワークシートを使うことが多い様子。でも子どもってプリント持って帰ってきませんのでねー。今ごろ教室かどこかで土に還ってるはず。)

学校教育は、少しずつだけれどやっぱり変わってきている。わたし自身も自分の中にある、「賢いノート・美しいノート」のイメージを手放す時なのかもしれない。

…とはいえ「バッタの特ちょう…虫」はないよなああああ。

ほめられるとこまる

兄弟の通っている剣道教室で鏡開きがあった。

基本的にひたすらおもちを食べる会なんだけど、ひとり一言、今年の抱負を発表する場面がある。発表といっても「試合で勝てるように素振りを頑張ります」くらいの簡単な一言なのだけど、弟くんは朝からそれをすごく気にしていた。

緊張するー、と、道場へ向かう道すがらも呟いている。保育園でも発表会で上がってしまって泣き出したりしたこともあったので、彼が緊張しいなのは知っている。わたしも同様なので、正直なんといって励ましたらいいか分からない。大丈夫だよ、なんてとても言えない。

「まあ、見てるよ」となんとも頼りない言葉をかけて、弟くんの発表を見守ることになった。

弟くんは、大きな声ではっきりと、話していた。緊張しているとは思えない、堂々とした態度だった。恥ずかしい盛りでさらーっと流しがちな小学生組より、正直立派である。

先生がたにも周りのお母さんがたにも盛大にほめてもらった弟くん。席に戻る時にはやや表情が強ばっていた。「発表よく分かったよー!堂々としてたね」と声をかけたら、さらに表情を強ばらせて、「まあほめられると思ってたよ」と言ったかと思うと、みるみる目の周りが赤くなり、泣き出した。

隣にいた兄は、「なんで?なんで泣いてるの?」とびっくりしていた。でもわたしは、なんだか分かるような気がした。

家に帰ってから、「ほめられるの嫌だったの?」と聞いてみた。弟くんは、少し間を置いてから、「ほめられると、じまんしたい気持ちが出てきて、それがいやなの…」と、小さい声で言った。

せ、繊細…!と一瞬思った。でも同時に、それ、わたしと一緒だ、とも思った。現にわたしはさっきも、「弟くんしっかりしてるねーー!」と言われて素直に「ありがとうございます〜♡」などとはとても言えず、なんだかもにょもにょした返事をしてしまっていたのだ。

ほめられると本当は嬉しい。でも、うれしがる自分を認めたくない気持ちもある。だから、ほめ言葉をそのまま受け取れない。分かる、分かるよ弟くん、と思う。分かるけど、返す言葉が見つからない。

すると、それまで黙っていた兄が口を開いた。

「弟くん今日ほんとにじょうずだったし、まあちょっとはじまんする気持ちになっても当たり前じゃない?」と、さらーっと。

なんだか兄に救われた。似た人同士で煮詰まっていたところへ、ぜんぜん違う発想の人が入ると、ぱーっと視界が開ける、あの感覚を、兄がもたらしてくれた。

そういう意味で、弟くんにとって兄はとても大切な人だし、わたしにとってもそう。
もしかすると、お互いがそんな風に、関わり合っているのかもしれないな、と思った。

食べさせないで

冬休み中に、祖父母の家(父方の)に行くことをかなり楽しみにしていた子ども達。人気の理由はいくつかある。

・おじいちゃんとおばあちゃんが優しい(怒らない)
・お菓子食べ放題
・テレビ見放題
・成長したいとこたちが置いていったおもちゃがたくさんある
・部屋の中を走っても怒られない(広いから)
・庭でキャッチボール可(広いから)
・でありつつも、なんとなく見ててくれる大人がたくさんいる

書き出してみると、おじいちゃんち最高だよな、と改めて思う(笑)。でも最初からそんな風に思っていたかというとそうではなくて、過去にはそのフリーダムさが許せない時期があった。特に食べ物関係。

長男は生まれた頃からアトピー気味で、原因が食物アレルギー(かも)、との診断を受け、卵・牛乳・小麦・大豆の除去をしていた。更に、「砂糖は冷えるからアトピーが悪化する」と聞けば砂糖を除去し、「果物もよくない」と聞けば果物も、というように、いろんなものを自己流で除去するようにもなっていた。

そんな風に口に入るものを極限まで制限しているところへ、おじいちゃんおばあちゃんという存在は、いろんなものを孫に食べさせようとする。我が家の場合は特に義父がそうだった。

「大福食べるかー」(義父)
「甘いものはダメなんです」(わたし)
「何でや。大福に卵も小麦も入ってえんやろー。」(義父)

両者一歩も退かず(!)、ある時ついにけんかになった。

そんなにしゃかりきにならなくても良かった、と今なら思う。実際に食べさせるかどうかは別として、孫においしいものを食べさせたい、という義父の気持ちは確かにそこにあったのだから。でも、その当時はもちろん、そんな風には到底思えなかった。

そもそも、義父に対してに限らず、あの頃は常にどことなくけんか腰だったと思う。顔を赤く腫らして痒がる長男がかわいそうで、この子を守ってあげられるのは自分しかいないと思って、他の人は何にも分かってないと思ってた。そこにはドラマチックな悲壮さと謎の効力感があって、だからわたしはそこから抜け出そうとしなかったのだ。

その、大福事件(笑)の年の帰省はさんざんで、帰る日まで義父とは口をきかなかった。東京へ戻る電車に乗る直前、それでも見送ってくれた義父に会釈をしたら、無言のままわずかにうなずき返してくれたのを見て、一瞬泣きそうになった。

本当はこんなの嫌だ、とあの時思ったんだと思う。子どもを「かわいそう」の箱に押し込んで、すべてを思い通りにコントロールしていくのはもう限界だ、と。

あれから7年経った。結局息子のアトピーと食物アレルギーとの関連はよく分からないまま、医師のサポートを受けてひとつずつ除去を外していった。わたしも「ほんとうに食べさせたくないのか、それとも『コントロールできている』という感覚がほしくて言っているだけなのか」と考えるようになり、ひとつひとつ「食べさせないで」の呪縛を解いていった。そしたら、子どもに備わる自然の力(食べ過ぎたら調整する、とか、本当に体に合わないものはそんなに食べない、とか)が見えるようになってきた。

こうして今振り返ると、ここに至るプロセスのひとつずつが、わたしにとっては必要な体験だったんだな、と思う。たぶんひとりではここにたどりつかなかった。わたしの成長につきあってくれた義父には、心から感謝している。