子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

場所が問題なんじゃない

兄くんが中学受験用の塾に通い始め、受験するかもモードになって約1年。塾の先生のお勧めに従い、いろんな学校の説明会やら文化祭やらに行ってみた1年であった・・・。数えてみたら、1年で10回以上行ってた。(気楽に行くぶんにはけっこう楽しかった。)

いろいろ参加してみての結論は、「まあどこも似たり寄ったりなんだろうなあ」という感じ。私立中学校の受験を考える人がよく見るという某掲示板には、「熱望してます!」とか「もうここの学校以外には考えられん!」みたいな熱い投稿もよく見かけるけれど、そこまで肩入れしたいような学校もなければ、これはちょっとなあ、というような学校もなかった。どこも素晴らしいと思いますよー入れていただけるんなら(←重要)という感じ。

そりゃそうだ。学校は学校なのだ。どんなに特色があるっていったって、そこには先生がいて生徒がいて、学習指導要領に(程度の差こそあれ)準拠した授業を行なっている、という基本線は、崩されることはない。集団生活ゆえのトラブルもあれば、たまには心の震えるような素敵なことも起きるだろう。たぶん、どこの学校でもそれは同じだ。

試しに兄くんと「こんな学校だったらいいな」と望む要素を書き出したことがある。書いているうちに、それはもう学校に対する願いというよりは、まあ別に今からでもやればいいよね自分で・・・みたいな感じになって、笑ったことがあった。「テーマを決めて研究がしたい」「グループワークしたい」っていう彼の望みは学校でも学校以外でも満たされる機会はいくらでもあるし、「制限なく没頭する時間が取れるといい」「先生が嬉しそうに授業していたらいい」っていうわたしの願いは、「家庭の、親の、自分のあり方」という形で自分に返ってきたり、する。わたしは嬉しそうに仕事をしてるか、子どもと遊んでるか、没頭してるかっていうね(笑)。

場所や他人が問題なんじゃない、という感覚を、兄くんもわたしもつかみつつあるのかもしれない。

わたし自身、「学校」に対する願いがずっと強かったという自覚がある。小学校から大学までの12年間、教員としての10年間、ずっと「ここがもっといやすい場所ならばいいのに」と願いながら、自分の「いやすさ」について大して突きつめることもなく、いろいろトライしたり傷ついたりしてきた。「学校」そのものを、なかなか振り向いてくれない恋人のように扱ってきたようなところがある。兄くんの受験問題についても、期待してはダメ、と言い聞かせつつ(笑)、どこかで「理想的な学校」を探してた。理想を大してつきつめることもなく。だからこそ10回もあちこち足を運んだんだと思う。

でももうそれも終わりに差し掛かっているのかもしれない。いいよーどっちでも、って心から思うし、それと同時に、不完全な「学校」を通じて息子たちが日々してくる体験を興味深く聞く自分もいる。楽しいことだけじゃなく、嫌な思いも、失敗も、いっぱいさせてくれてありがとねー、と思っている。