子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

食べさせないで

冬休み中に、祖父母の家(父方の)に行くことをかなり楽しみにしていた子ども達。人気の理由はいくつかある。

・おじいちゃんとおばあちゃんが優しい(怒らない)
・お菓子食べ放題
・テレビ見放題
・成長したいとこたちが置いていったおもちゃがたくさんある
・部屋の中を走っても怒られない(広いから)
・庭でキャッチボール可(広いから)
・でありつつも、なんとなく見ててくれる大人がたくさんいる

書き出してみると、おじいちゃんち最高だよな、と改めて思う(笑)。でも最初からそんな風に思っていたかというとそうではなくて、過去にはそのフリーダムさが許せない時期があった。特に食べ物関係。

長男は生まれた頃からアトピー気味で、原因が食物アレルギー(かも)、との診断を受け、卵・牛乳・小麦・大豆の除去をしていた。更に、「砂糖は冷えるからアトピーが悪化する」と聞けば砂糖を除去し、「果物もよくない」と聞けば果物も、というように、いろんなものを自己流で除去するようにもなっていた。

そんな風に口に入るものを極限まで制限しているところへ、おじいちゃんおばあちゃんという存在は、いろんなものを孫に食べさせようとする。我が家の場合は特に義父がそうだった。

「大福食べるかー」(義父)
「甘いものはダメなんです」(わたし)
「何でや。大福に卵も小麦も入ってえんやろー。」(義父)

両者一歩も退かず(!)、ある時ついにけんかになった。

そんなにしゃかりきにならなくても良かった、と今なら思う。実際に食べさせるかどうかは別として、孫においしいものを食べさせたい、という義父の気持ちは確かにそこにあったのだから。でも、その当時はもちろん、そんな風には到底思えなかった。

そもそも、義父に対してに限らず、あの頃は常にどことなくけんか腰だったと思う。顔を赤く腫らして痒がる長男がかわいそうで、この子を守ってあげられるのは自分しかいないと思って、他の人は何にも分かってないと思ってた。そこにはドラマチックな悲壮さと謎の効力感があって、だからわたしはそこから抜け出そうとしなかったのだ。

その、大福事件(笑)の年の帰省はさんざんで、帰る日まで義父とは口をきかなかった。東京へ戻る電車に乗る直前、それでも見送ってくれた義父に会釈をしたら、無言のままわずかにうなずき返してくれたのを見て、一瞬泣きそうになった。

本当はこんなの嫌だ、とあの時思ったんだと思う。子どもを「かわいそう」の箱に押し込んで、すべてを思い通りにコントロールしていくのはもう限界だ、と。

あれから7年経った。結局息子のアトピーと食物アレルギーとの関連はよく分からないまま、医師のサポートを受けてひとつずつ除去を外していった。わたしも「ほんとうに食べさせたくないのか、それとも『コントロールできている』という感覚がほしくて言っているだけなのか」と考えるようになり、ひとつひとつ「食べさせないで」の呪縛を解いていった。そしたら、子どもに備わる自然の力(食べ過ぎたら調整する、とか、本当に体に合わないものはそんなに食べない、とか)が見えるようになってきた。

こうして今振り返ると、ここに至るプロセスのひとつずつが、わたしにとっては必要な体験だったんだな、と思う。たぶんひとりではここにたどりつかなかった。わたしの成長につきあってくれた義父には、心から感謝している。