子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

小3男子のノート術(笑)

昨日、「算数のノートが終わりそうだから買ってほしい」と長男からリクエストがあった。算数のノートはもう3、4冊目なのだけれど、そういえば他のノートを「買って」と言われた記憶がない。

ちょーっと見せてくれるかな?と理科のノートを見せてもらった。

…8ページしか使っていませんでした。(1月13日現在)

きっちり書いてあって8ページ、ではもちろんない。

10月1日の「太陽について」のページは、ぎっしりと実験の結果や気づいたことについて書いてある。イラストもついていたり、矢印や囲みを使って図式化していたりと、とてもアクティブなノートになっている。一方で、9月14日のページには、ひょろーっとした文字で「ホウセンカ」って書いてあって、それで終わり。ねえ、ホウセンカが何?ホウセンカどうしたの?(涙)

他にも「バッタの特ちょう…虫」(以上)とか、予想の斜め上の記述が続くので、ついつい熟読してしまった。2学期の半ばくらいの所に、先生が赤い字で「ノートは頭の中を表します。ていねいに」って書いてくださってて深く頷く。うん、たしかに、頭の中を表している…好きなことにはがーっと集中するけど、興味ないものについては目に入ってすらいない感じとか。

でもまあ、確かに8割がたは本人の問題だとは思うんだけど、2割くらいはそうとも言えないかもな、とは、ちょっと思った。

今、学校でもアクティブラーニングがどんどん入ってきていて、「先生と生徒のやりとり→先生板書生徒は板書をノートに写す」といった、オールドスタイルのノートの取り方はしなくなってきている。一方で、討論したり実験したりグループワークしたりする場でのノート活用方法&ノート指導については、まだまだ試行錯誤中、というところなのかもしれない。なにかしながらさっとノートを取る、というのは、子どもにとってなかなか高等テクニックなのだ。

(ちなみに今の学校の授業では、ワークシートを使うことが多い様子。でも子どもってプリント持って帰ってきませんのでねー。今ごろ教室かどこかで土に還ってるはず。)

学校教育は、少しずつだけれどやっぱり変わってきている。わたし自身も自分の中にある、「賢いノート・美しいノート」のイメージを手放す時なのかもしれない。

…とはいえ「バッタの特ちょう…虫」はないよなああああ。

ほめられるとこまる

兄弟の通っている剣道教室で鏡開きがあった。

基本的にひたすらおもちを食べる会なんだけど、ひとり一言、今年の抱負を発表する場面がある。発表といっても「試合で勝てるように素振りを頑張ります」くらいの簡単な一言なのだけど、弟くんは朝からそれをすごく気にしていた。

緊張するー、と、道場へ向かう道すがらも呟いている。保育園でも発表会で上がってしまって泣き出したりしたこともあったので、彼が緊張しいなのは知っている。わたしも同様なので、正直なんといって励ましたらいいか分からない。大丈夫だよ、なんてとても言えない。

「まあ、見てるよ」となんとも頼りない言葉をかけて、弟くんの発表を見守ることになった。

弟くんは、大きな声ではっきりと、話していた。緊張しているとは思えない、堂々とした態度だった。恥ずかしい盛りでさらーっと流しがちな小学生組より、正直立派である。

先生がたにも周りのお母さんがたにも盛大にほめてもらった弟くん。席に戻る時にはやや表情が強ばっていた。「発表よく分かったよー!堂々としてたね」と声をかけたら、さらに表情を強ばらせて、「まあほめられると思ってたよ」と言ったかと思うと、みるみる目の周りが赤くなり、泣き出した。

隣にいた兄は、「なんで?なんで泣いてるの?」とびっくりしていた。でもわたしは、なんだか分かるような気がした。

家に帰ってから、「ほめられるの嫌だったの?」と聞いてみた。弟くんは、少し間を置いてから、「ほめられると、じまんしたい気持ちが出てきて、それがいやなの…」と、小さい声で言った。

せ、繊細…!と一瞬思った。でも同時に、それ、わたしと一緒だ、とも思った。現にわたしはさっきも、「弟くんしっかりしてるねーー!」と言われて素直に「ありがとうございます〜♡」などとはとても言えず、なんだかもにょもにょした返事をしてしまっていたのだ。

ほめられると本当は嬉しい。でも、うれしがる自分を認めたくない気持ちもある。だから、ほめ言葉をそのまま受け取れない。分かる、分かるよ弟くん、と思う。分かるけど、返す言葉が見つからない。

すると、それまで黙っていた兄が口を開いた。

「弟くん今日ほんとにじょうずだったし、まあちょっとはじまんする気持ちになっても当たり前じゃない?」と、さらーっと。

なんだか兄に救われた。似た人同士で煮詰まっていたところへ、ぜんぜん違う発想の人が入ると、ぱーっと視界が開ける、あの感覚を、兄がもたらしてくれた。

そういう意味で、弟くんにとって兄はとても大切な人だし、わたしにとってもそう。
もしかすると、お互いがそんな風に、関わり合っているのかもしれないな、と思った。

食べさせないで

冬休み中に、祖父母の家(父方の)に行くことをかなり楽しみにしていた子ども達。人気の理由はいくつかある。

・おじいちゃんとおばあちゃんが優しい(怒らない)
・お菓子食べ放題
・テレビ見放題
・成長したいとこたちが置いていったおもちゃがたくさんある
・部屋の中を走っても怒られない(広いから)
・庭でキャッチボール可(広いから)
・でありつつも、なんとなく見ててくれる大人がたくさんいる

書き出してみると、おじいちゃんち最高だよな、と改めて思う(笑)。でも最初からそんな風に思っていたかというとそうではなくて、過去にはそのフリーダムさが許せない時期があった。特に食べ物関係。

長男は生まれた頃からアトピー気味で、原因が食物アレルギー(かも)、との診断を受け、卵・牛乳・小麦・大豆の除去をしていた。更に、「砂糖は冷えるからアトピーが悪化する」と聞けば砂糖を除去し、「果物もよくない」と聞けば果物も、というように、いろんなものを自己流で除去するようにもなっていた。

そんな風に口に入るものを極限まで制限しているところへ、おじいちゃんおばあちゃんという存在は、いろんなものを孫に食べさせようとする。我が家の場合は特に義父がそうだった。

「大福食べるかー」(義父)
「甘いものはダメなんです」(わたし)
「何でや。大福に卵も小麦も入ってえんやろー。」(義父)

両者一歩も退かず(!)、ある時ついにけんかになった。

そんなにしゃかりきにならなくても良かった、と今なら思う。実際に食べさせるかどうかは別として、孫においしいものを食べさせたい、という義父の気持ちは確かにそこにあったのだから。でも、その当時はもちろん、そんな風には到底思えなかった。

そもそも、義父に対してに限らず、あの頃は常にどことなくけんか腰だったと思う。顔を赤く腫らして痒がる長男がかわいそうで、この子を守ってあげられるのは自分しかいないと思って、他の人は何にも分かってないと思ってた。そこにはドラマチックな悲壮さと謎の効力感があって、だからわたしはそこから抜け出そうとしなかったのだ。

その、大福事件(笑)の年の帰省はさんざんで、帰る日まで義父とは口をきかなかった。東京へ戻る電車に乗る直前、それでも見送ってくれた義父に会釈をしたら、無言のままわずかにうなずき返してくれたのを見て、一瞬泣きそうになった。

本当はこんなの嫌だ、とあの時思ったんだと思う。子どもを「かわいそう」の箱に押し込んで、すべてを思い通りにコントロールしていくのはもう限界だ、と。

あれから7年経った。結局息子のアトピーと食物アレルギーとの関連はよく分からないまま、医師のサポートを受けてひとつずつ除去を外していった。わたしも「ほんとうに食べさせたくないのか、それとも『コントロールできている』という感覚がほしくて言っているだけなのか」と考えるようになり、ひとつひとつ「食べさせないで」の呪縛を解いていった。そしたら、子どもに備わる自然の力(食べ過ぎたら調整する、とか、本当に体に合わないものはそんなに食べない、とか)が見えるようになってきた。

こうして今振り返ると、ここに至るプロセスのひとつずつが、わたしにとっては必要な体験だったんだな、と思う。たぶんひとりではここにたどりつかなかった。わたしの成長につきあってくれた義父には、心から感謝している。

8歳と6歳のサバイバル生活

久々の更新です。クリスマスからお正月にかけて、インフルエンザで寝込んでおりました…しかも夫と2人で。

数年前だったら割と気軽におじいちゃんヘルプを要請して数日預かってもらっていたところだけれど、両親も高齢化してたり子どもも子どもなりにいろいろ予定があったりして、もうそういう訳にはいかない。どうにか4人で生き抜かなくてはこの東京砂漠で…!とも一瞬思ったけれど、実際には、保育園友達やご近所友達に、とにかくたくさん助けてもらった。送り迎えしてもらったり、一緒に遊ばせてもらったり、買い物や食事の差し入れをしてもらったり…本当にありがたかった。東京はぜんぜん砂漠じゃありませんでした(涙)。

そして子どもは子どもで、この非常事態をけっこう生き生きとサバイバルしていた。というか、8歳6歳でどうにかこうにか暮らせていたことに、正直驚いた。

親が何も言わなくても、ご飯を準備して食べて片づけてお風呂湧かして入って消灯して眠る。あれだけ普段「ご飯だよー」とか「お風呂入りなさーい」とか言ってたのはなんだったんだろう、とふと思う(笑)。


学童&保育園キッズは、平日家にいる時間が短い。帰ってきてからは宿題をやるのがせいぜいで、お手伝いの時間を取るのって案外難しい。「3歳児です、包丁使っています」的な記事を見かけて(うわー、やってないなー…)と、ちょっと気になるときもある。

それでも、いつのまにか子ども達は、
ごはんを炊いたり、おかずを温めたりするくらいはできるようになっていた。3日目くらいには、「いくらなんでも部屋が荒れ過ぎている…!」「もう着替えのパジャマがないよ!」と、いろんなことに気づいて、そこから自分たちなりに解決していた。そういう風に、掃除も洗濯も、必要に迫られればできるのだ。

「正しいやりかた」が身についているというわけではない。服なんか干したところからそのまま着てたし。でも、自分たちなりに考えて、そこにあるものでどうにか暮らす、という感覚は、いつのまにかちゃんと育っているようだ。大丈夫、今だって十分、上京したての大学生ぐらいのことはできている。

もしかしたら、「お手伝い」としてやりかたをいちいち隣で教えるよりも、ある程度まるっと投げたほうがいいのかもしれない、とも思う。まずは自己流でもいいからなんとかやってみて、そこから、自らのニーズに従って(もうちょっと美味しいもの食べたいとか)、内容の充実を図っていくという道筋もあるのではないか。


冬休みの振り返りに「お父さんとお母さんが病気だったので、弟と2人暮らしをがんばりました」と書いていた兄。弟も、保育園の先生に「子ども達だけでごはんつくったの!」と報告していた。

本当に、よくがんばりました。

おもちゃを持って帰ってきちゃった話

昨日、保育園から帰ってきた弟くんが、「これ、つくったんだー」と、ラキュー(というパズルブロックがあるのです)でつくった新幹線をもってきた。

よくできてる。が、ラキューのピースが、だいぶ古びているのが気になった。

「これ、もしかして、保育園からもってきた?」

ニュートラルに聞いたつもりだけど、わたしがびっくりしていることは瞬時に伝わって、(あ、まずい)という顔になる。

「違う、おうちでつくったの」という弟くん。「ほほうー。いつの間につくったの?」「げ、げつようび…」「ふーん、そうかあ。」とわたしもいったんは収めたものの、弟くん、あからさまに挙動不審になっている…わたしもこの、疑惑を抱えたままの状態が非常にしんどい。

「えーとさ、弟くんとはほんとの気持ちでお話したいから、今言わないでいることがあったら教えてくれるかな」と伝えたら、かぶせるくらいのスピードで、「ごめんなさいいいーー涙」と、泣きながら、本当のことを話してくれた。

保育園で2日かけてつくって、かっこよく完成して、どうしても見せたかったから持って帰ってきちゃった。と弟くんは言った。先生にもお母さんにも、言ったら怒られると思ったから、言わなかった、と。

言ってくれてたら先生もぜったい相談に乗ってくれるし、お母さんだって同じだよ。でもまあ、弟くんは、それくらい、きまりをだいじに思ってるんだね。それを破るんだから、どきどきしたんじゃない?

そんな話をしていたら、ちょうど夫が帰ってきた。

一部始終を弟くんから聞いた夫は、隣の部屋からカメラを持ってきて、「じゃ、せっかくだから写真撮ろう!」と言った。

…その発想はなかった。というか、一瞬「え、今の話ちゃんと聞いてた?」って思った(笑)。けれど、夫は確かにちゃんと聞いていた。

わたしは「こっそり持ち帰った」ところの心の痛みに共感して聞いていたけれど、夫は、当初の「家族に見せたかった」「かっこいいでしょ?」のところに寄り添っていた。(そしてわたしはそこには全然寄り添っていなかった)

どちらが適切か、という問題ではないけど、「やられたー!」って感じがした。

こういう時に、夫と一緒に子育てしていることの価値を感じる。自分の目は、なんだかんだとまっすぐにしか届かない。だから、別の角度から、子どもを見てくれる人の目って、とても必要。それはたぶん、夫でも、園や学校の先生でも、ご近所さんでも、同じことなのだ。

晴れ晴れとした顔で写真に納まる弟くんや、それまで固唾をのんで見守ってた兄くんが「うんこれはなかなか年長児にしては上出来」と謎の上から目線でほめているのを見ながら、そんなことを思っていた。

にしても、写真撮ろう、って発想はなかったなー。ちょっと悔しい(笑)。


ぼくが勉強する理由

長男が、2月から通塾することになった。

彼は、秋口から進学塾の体験コースに通っている。通い始めた頃から「塾の授業が面白い」とは言っていた。しかし、週3回も塾に通うっていうのも大変そうだなあ、と(親子ともども)思い、一回目の「今なら入会金無料キャンペーン」はスルーした。

ちょうどその頃、SDGsという、国連が定めた持続可能な開発目標について知る機会があって、息子にサイトや動画を見せた。

2030アジェンダ | 国連広報センター


「今、世界にはこういう目標があるんだってことを、お母さんはつい最近知って、それから、自分の人生の幸せと世界の幸せとを両方叶えたい、って思うようになったんだよね」というようなことを話した覚えがある。

先日、2回目の入会金無料キャンペーンのお知らせが来た。案内状を見て「ちょっと行きたいかも。でもなあ…」と言っていた兄が、昨日になって、「やっぱり行ってみたい」と言い出した。
「ぼくは考えるのが好きだし、考える力もあるから、大きくなったらその力で世界の目標を解決できるかもしれない。だから、今から頭を鍛えようかなって思ってる」と、彼は、考え考え、自分の言葉で言い切った。

彼の中で、通塾問題とSDGsがいつのまにかつながっていて驚いた。(ぼくには考える力がある、という力強い断定にもやや驚いたけど笑)。

小さい頃から、「天文学者になりたい」「南北線の運転手になりたい」「野球選手になりたい」と、いろんなバージョンの「将来の夢」を聞いてきた。でも、昨日の話を聞いていて、彼の中に、自分自身の関心や幸せの追求と同時に、世界と関わり、世界を創っていくことへの意志が新たに芽生えてきたように感じたし、そのために自分の持っているリソースを使うという感覚も、いつのまにかもう持っているんだなあ、と思った。

弟と唐揚げを取り合ったり(本日)、習字の墨汁を顔にくっつけて帰ってくる姿(一昨日)からは想像もつかないような内面が、どんどん育ってっている。その両極端を、間近で見ることができる喜びが、今あるなあ、と思う。そして、「この子に対して親のできることは何だろう」という問いが、そういえば最近、なくなってる。





展覧会

兄小学校の展覧会へ。
体育館の中に、1年生から6年生までの作品が、
ぎっしり展示してあった。

天井まで届くくらいの立体作品や、
壁いっぱいのカラフルな絵。
素材も、針金やらアクリル板やら
ビーズ、木材、その他いろいろ。
ブラックライトを使ったものまであった。
ほんとうにバラエティに富んでて、
昭和の頃とは違うんだなああああ、と思う。

兄は、
「こっち来て。この人の、すごいんだよ」
と、上級生のかっこいいオブジェのところに
連れていってくれたり、
かと思えば、学童の同じ班の下級生の作品を見つけて
「意外とうまいんだな〜」
と感心したり。
少し照れた、というか、晴れがましい感じの
顔で、あちこち案内してくれた。

自分の作品は、
「これ」
と指差して、あっさりとどっか行ってしまった。
兄がつくっていたのは、
とにかく高く積み上げた立体作品と、
「頭の中はいっぱいだ」というタイトルの、
自分の頭の中を描いた絵だった。
「自分の頭の中」として描いてたのが、
「お金」と「テスト」と「お寿司」
でびっくりした…そ、そうなの?笑

ひとつ気になったのは、ほとんどの作品が、
頭の中だったり空想の街だったり、
自分で考えた動物や怪獣だったりと、
イマジネーションの世界を
形にしたものだったこと。
低学年から高学年まで、同じだった。

今は、模写とか写生とかは、あんまりしないのだろうか。
そういう時代なのかな…

子ども達のイマジネーションの世界は、
とてもカラフルで豊かだった。
だからこそ、彼らが現実の世界をどう捉えているかも
見てみたいなー、と思った。