子ども観察記+α

兄(9歳・小4)と弟(6歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

「安倍さん」にエンパシーする

小4兄くん、友達と共謀罪の話になったらしい。昨日の剣道の帰り道、「お母さんから見て、共謀罪ってどういうもの?」と聞かれた。その問いがおもしろいなーと思いつつ、わたしの目から見た「テロ等準備罪法案」について話をした。

話を聞き終えた兄くんが、「お母さん反対派でしょ。」と言った。そうねえ、そこに一票投じる権利があるならわたしは反対だな、と答えた。兄くんは?と聞くと、

「決められない。よくわからない。反対側の意見しか知らないから」と言う。お友達との会話でも、「反対派」の意見が多かったらしい。

「○○くんは内容自体がよくないって言ってたし、○○くんは、内容はいいけど決め方が悪いっていう派だった」
と、学校での話を再現していた兄くんが、ふと

「政府はどんな意図があって法案つくったのかな」

と呟いた。

そうかー、法案の裏にもニーズあるか。そうか、そうだよなー、と思って、それから二人で、政府や、安倍さんにエンパシー(※シンパシー=同調ではありません)しながら帰った。「安全」「安心」のニーズがたくさん出てきた。あと、「自己信頼」「つながり」とか。

そんな風に対話ができたら、きっと現れてくる世界は全然ちがう。そして、そうやって世界を変えていくことのできる芽を、子どもたちの世代は自然に持っている。早い時期から社会に目を向けていることも、社会と自分とのつながりに対する感覚も、上下左右ないようなフラットさも、子どもたちの世代に特徴的な資質のように感じる。

安倍さんにエンパシーして泣くとかどういうことか、と思いつつ、未来への希望を感じた出来事だった。


私立中学校説明会に行ってみた

長男が学習塾に入り、「あれ、もしかすると中学受験する流れ?」みたいな雰囲気が出てきた。その気になってみたり、いやーそこまではできないわ(主に時間とお金の面で)、となったりしていたけれど、そもそも実際に見てみないことには、と、先週末、都内の私立中学校説明会に行ってきた。

向かったのは都内でも有数の進学校。何事もまずハイエンド機種を見てみたいタイプ(笑)。大学と併設されていることもあり、緑が多く、ゆったりした印象を受けた。

「説明会」と聞いて、進学実績とか沿革とか期待する生徒像とかを学校長が話す、というスタイルを想像していたら、英語と数学の授業の内容についてのお話だった。「について」、というよりほぼそのまんまプチ授業で、これがとても面白かった。

前に立つ教員がみな、いい声だったのがいちばん印象に残っている。ちょうどよい大きさとスピードで、「伝えたい」という気持ちと「伝わる」という信頼がある人の声だな、と思った。何より、話すときに、みなさん嬉しそうな顔をしていた。面白いものを共有する時の人の顔というか。高校時代の恩師に、そういう顔をしていた人が何人かいたのを思い出す。

一校しか見てないけれど、わたしが「学校」に求めているものが見えてきた。自分の喜びをわかっている先生がいること。授業やその他の教育活動がそうした喜びの表現の場として捉えられていること。最終的にはそれだけだな、と思った。「結果」としての生徒の様子や、それこそ進学実績みたいなことには実はあんまり興味がない。学校が、何を源として、どのようにあろうとしているのかだけ見ていけばいいな、と、今は思っている。


勝ったり負けたり

週末に、長男が参加する剣道大会の応援に行った。去年の秋の大会で初戦敗退して泣いてから、「次は絶対勝つ」と火が着いた。半年間一度も稽古を休まず、練習そのものにも熱心に取り組むようになった。

わたしは昔から一貫して勝ち負けのあることが苦手だ。平和主義だからというわけではなく、負けず嫌いだから(笑)。だから、これまでも「勝ちたい!」と燃える息子に、「勝ち負けじゃなくて、大事なのは試合の内容ですよ・・・」と水を差しまくってきた。

初戦、長男がこの半年でだいぶ腕をあげていたことに気づいた。落ち着いているし、足さばきもスムーズになっている。最短距離からまっすぐ打ち込んでいく。綺麗に動くようになったなー、と思っているうちに、試合が終わった。

二回戦の相手には、歯が立たなかった。よく動いていたけれど、素人目にみても相手の方が一枚上手、という感じだった。去年、一昨年は、すぐ鍔迫り合いになって、なんだかよくわからないうちに勝ったり負けたりしていた。そうか、上達してくると、試合自体がわかりやすくなってくるんだな、と思った。

面を外して戻ってきた長男は、「負けた」とあっさり言った。「よく動いてた」と声をかけると、「今やれることはやった」と言ってから、一瞬だけ目が泳いだ。泣くのかな、と思ったけれど、違った。

口にしてから、「いや、そんなことない、やれることはあったはず」と思ったのかもしれない。そのあとすぐ、先生のところへ行って、指導を受けていた。「やっぱり振りかぶってからが遅いって」と言いながら戻ってきて、帰り際にはもう、「6年になるとけっこう抜ける人が多いから、勝つチャンス・・・!!」と、やや黒い計画を練っていた(笑)。

そんな息子に、「勝ち負けじゃない」なんてよくいったものだと思う。彼はずーっと勝ち負けの中にいて、その中からいろんなことを学び取っている。「勝つため」を根っこに、休まずに練習に通い、試合できちっと自分の力を発揮する。先生に助言を乞う。そしてまた、次の大会に向かってスタートを切った。わたしとはまったく違う人生を、すでに歩んでいる。

そのことに、思った以上に深い安心を感じている。よかった、わたしたちは別々だ。どんどんおやり。わたしはここで見てるから。





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「アホ男子母」という、業

息子をふたり産んでみてはじめて、男の子の生態というものを知ったような気がする。

なんだかいつも砂っぽい、あちこち走り回る(止まらない)、靴下が行方不明、上履きが行方不明、ランドセルが(以下略)、ブラックホールに吸い込まれ続ける文具・・・そんな話を、男子母仲間(ときどき女子母)と何度してきたことだろう。

未だにいちいち驚かされるけど、毎回ほんと脱力するけど、時に本気で受け入れがたいけど、・・・要は、かわいくてたまらないのだ。息子たちのもつ、謎の世界観や、生態や、(ちょっと認めたくないけど)「母」という存在に対する無防備さが。

1、2年ほど前から、SNS上で#アホ男子母 というハッシュタグを見かけるようになった。たぐってみると、男児の突拍子もない言動に震える母たちのつぶやきがあふれている。

ひとつひとつが愛らしくて、あーあるある、と笑ってしまう。でも、笑ったあとで、少しだけ後味の悪さが残る。子どもたちを「消費」してしまったような、そんな感覚。

今日、友人と子育てについて話した。気づいたら「アホ男子母」モードになって、息子の行動について、笑っていた。まるで「自虐」みたいなトーンで笑ってた。息子は息子で、わたしじゃないのに。あとから振り返って、ぎょっとした。

愛情はあった。ただ、尊重がなかった。わたしはそこを、ほんとうによく間違える。きっと大事な課題なんだろうな、わたしの。

消費し合わない、所有し合わない、一個人どうしの人間関係をつくりたい。そのことを、家族という「ひとかたまり」になりがちな(とわたしが思っている)関係性の中で、挑戦してみたいんだと思う。

というわけで、そんな挑戦の記録をふたたび綴っていきたいと思います。

違うから面白い。

剣道の稽古に出かける前に明日の塾のテスト勉強をしていた兄くん。が、「ああああ終わらない!!!!」と急にパニクりだした。もう道着に着替えて出かけないといけないのに最後の問題が解けない。しまいには怒り泣きしだしたので、たまげてしまった。

どうしたどうした?とこちらも慌てる。この間もなんか似たようなことあったので、ちょっとやっぱりお疲れ気味なんだろうか・・・と思いつつ、しんみり話を聞く。「やりたいことがうまくまわっていない」という感じのフラストレーションがどんどん出てくる。

・・・と、割と重たい感じでやりとりしていたら、それまで黙っていた弟くんがおもむろに

「しゅくだいが!おわらずに!なーいているやつじごく!」

とうたいだした。(※COWCOWの「地獄拍子」というネタです)

それまで深刻になってた兄くん、「ひど!」と言いながら爆笑。それでそのまま気持ちがおさまったらしく、あっさりと支度して出かけていった。

誰かがトラブルを抱えている時に、我が家のメンバーはみんなそれぞれのやり方で関わろうとする。

兄くんは解決策を考えようとするし、わたしは話を聞こうとする。夫は問題点を洗い出そうとするし、弟くんは気分を変えようとする。

そういうタイプの違いってけっこう明確にあるし、その違いのおかげで家族のバランスが取れているところも、あると思う。兄くんが解決策好きだからわたしもそれに合わせる、というのではなくて、わたしはわたしの得意なアプローチをすれば、兄くんの中で足りてなかったところのサポートにそのままなる、という関係性が、面白い。

なんだかんだといい兄弟の組み合わせだし、いい家族の組み合わせだなー、と思いつつ、弟くんの地獄拍子を思い出して笑っている夜です。










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自業自得その2

昨日の続き。
hattatsukasa.hatenablog.com


そんな訳で弟くんがなくしてしまったしっぽを夜更けのテンションで作り直したわたし。割と意気揚々とw、朝起きてきた弟くんにできあがりのしっぽを見せた。

布はなかったんだけど、お母さんの服でつくったよ、と声をかけると、弟くんは困惑した顔になる。

「・・・これは持って行きたくない。」

と返ってきて、がーーーーんとなった。まじかー、と思いながら「なんで?」と聞くと、なんでっていうか、なんかびっくりしてるんだよー、という返事。

あああ、そういうことか・・・。わたしは、自分が弟くんの領域を侵してしまってたことに気づいた。

弟くんは昨日の時点で、「しっぽを壊して(&なくして)困った」ということは表現してたけど、「新しいのを作ってほしい」とは言ってなかった。動揺と不安が大きくて、「じゃどうしようか」と対処法を考える地点までは、行ってなかったのだ。それを、彼が寝たあと、わたしが勝手にいろいろ先回り(ですらないんだけど!)してしまった。いろいろすっ飛びすぎてる。びっくりしたよなそりゃ。というか、まあ、ちょっと引くよね・・・。

ついで、自分のことを振り返る。「なんか(自分が)面白くてつくっちゃっただけなのー」ってあの時は思ってたけど、でもさっき「もっていきたくない」って言われたら、がーーんとなったのだ。喜んでほしいっていう期待があったし、喜ぶはず、って完全に思い込んでた・・・きゃーーー(恥)!!

「おお、そうかー、なおが喜ぶかと予想してつくってみたんだけど、びっくりしたの」、と声をかけてみる。じゃあ、今日の総練習はしっぽなしで行く?と言うと、
「先生になくしましたって言う・・・今日お母さんもういちど布でつくってくれる?」と、明確なリクエストが返ってきた。

そんなこんなで子どもたちを送り出してから、昨日からの出来事を考えた。

サポートしたいと思ってたんだけど、方法が違ってたんだな、と思った。

改めて、弟くんが必要としてたサポートはなんだったんだろう、と思う。昨日泣いている弟くんに、「どうしようか」と問いかけても返事はなかった。「なくして困った、明日恥ずかしい思いをするのが怖い」という気持ちをもう少しじっくり味わうこと、その動揺や不安に対して共感されることを、弟くんは必要としていたんだろう。そしてわたしは昨日、そのサポートはできなかった。mtgもあったし、夜遅くなってからそういう話を聞かされるストレスもあったし。

昨日のブログでわたしは「甘いのかも」という言葉を使った。その時には「優しくしすぎてしまう」というニュアンスで使っていた。でも、「甘い」ってそういう意味じゃない。見取りの甘さだ。弟くんのニーズがどこにあるのかを見てなかった。自分の状況(つかれてるとかストレス感じてるとか)の認識も甘かった。

相手がしてほしいことと自分がしてあげたいことはちがう。

できることはできるし、できないことはできない。

当たり前なことなのに、わたしはこの2つを忘れがちだ。それを思い出させてくれた弟くんの率直さと、しっぽに、ありがとう、と今思っている。

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自業自得だけど

運動会でつかうねずみのしっぽがこわれちゃったー、持って帰ろうと思ったんだけど、どこに行ったかわからなくなっちゃった、と、夜になってから弟くんが泣き出した。時計をみるともう22時すぎだ。

ちょうどオンラインmtg中で、困ったなあーと思いつつ、中座して話を聞く。

明日総練習があって、その時には耳としっぽをつけないといけない。つけないとねずみになれなくて、ねずみじゃないのに踊るなんて、きっとみんなに笑われちゃう。と泣きながら言う。(なんだかややこしい理屈だ)

困ったねー、と共感というより同感しつつ、それ夕方のうちに言ってくれたらなんとかできたのかもしれないけど、今からじゃ無理だなあ。明日はしっぽなしでやるしかないねえ、と話す。弟くんは、泣き顔のまま寝てしまった。

mtgに戻りつつ、つくりなおしかー、とがっくりくる。裁縫が苦手なので、四苦八苦しながらつくったのだ。第一、材料を買い直しに行く時間だって、今から取れるのだろうか。運動会は今週末なのに。

ふと、たんすの中に、着古した黒のスパッツ(笑)があることを思い出した。裁縫箱の中には、マジックテープも、幅広ゴムもストックされている。綿もこの間の残りがある。

気がついたら、スパッツを取り出してじゃきーんと切っていた。切って、細長い袋状に縫い合わせる。中に針金と綿をつめていく。もう作り方を書いた学年便りは捨ててしまっているので、あいまいな記憶をもとに、作業を進めた。

さっき、しっぽ2号が完成した。もう日付が変わっている。

弟くんをかばってやりたいという気持ちよりも、お、これでつくれちゃうかも?という好奇心の方が強かった。まあ、魔が差した、としか言いようがない(時間的にも)。

「教育的」には、「甘い」のかもしれない。「失敗してもお母さんがなんとかしてくれる」と思うようになったら困る、のかもしれない。

そもそも弟くんがしっぽをなくしてしまったのがいけなかった。ちゃんと管理すべきだったし、なくしたんならもっと早く言うべきだった。だから明日総練習で困ることになったって、しかたない。自業自得だ。

理屈ではそうだ。でも「自業自得」な体験なんて、どうせこの先も何回も、うんざりするほど起きるんだろう。ならばそのうちの一回が「お母さんがなんとかしてくれた」体験になったってまあいいよね、と、子どもにも自分にも甘いわたしは今、頭の中で言い訳している。
 
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