読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

子ども観察記+α

兄(9歳・小3)と弟(6歳・保育園児)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

「PTAの噂」を検証してみた。

今年はじめてPTA役員になった。「学年部」という役割で、クラス会を開いたり、年に何回かある学校行事のお手伝いをする、という内容のもの。学級委員みたいなものなのかな、と思っていたけれど、別にそういう、「みんなのリーダー」みたいな場面はないらしい。(当たり前か、親だから。)

「上下関係でたいへん」
「園ごとのグループがある」
「保育園チーム肩身狭い」
「全部紙で来る」
「会議が長くて何も決まらない」
「とにかくいろいろ不条理」

などなど、PTAを巡る、リアルもSNSいろんな噂を真に受けて近寄らないようにしてたけど、・・・いや、別にそんなことないかも?と思っている(4/28現在)。

まず、古くからいるベテランPTAのみなさんは、突然飛び込んできたニューカマーにとても優しい。「ここに来ているだけでもう十分!えらい!」とほめてくれて、「意味わかんないところあると思うからどんどん聞いてね!」と、じゃんじゃん声をかけてくれる。高校の時、こういう明るくて頼もしいお姉さんいっぱいいたなあー(涙)。

メンバーが決まったその日にメーリングリストができてお互い自己紹介しあい、メーリスとか初めてで、って人にはさくっと誰かが設定教えてくれてて、今日開いた50人を越す部会(活動方針などの話、年間の係説明&決定、各クラスでのランチ会実施について諸々決定)も、トータル1時間半で終わった。


もちろん、学校や集まるメンバーにもよるので一概には言えないけど、PTAって憶測や想像が先行する部分がけっこうあるのかもしれない。だいたい、「その話誰から聞いた?」って自分で振り返ってみても、もう心もとないくらいだもの。なんとなく、「きっとこうなんでしょ?」と決めてしまったんだと思う。百聞は一見にしかず、っていうけど、ほんとに自分でみてみないと、本当のことってわからない。

自分の仕事や子供や家のこともあるけど、それ以外の場でいっちょ一肌脱ぎますか!って集まった人たち。一年間、一緒に楽しくやれたらいいなあ、と思っている。

泣いちゃった。

4月から、弟くんの友達のMくんを、朝30分ほどお預かりしている。Mくんのご両親が出勤してから学校が開くまでの時間をうちで過ごし、弟くん、兄くんと一緒に登校している。

M
くんは寡黙な男の子だ。

うちに来ても、静かにカーペットに座り、本棚から本を出して読んでいる。テーブルでは、早くご飯食べないと、とか今日墨汁いるんだった、とかわちゃわちゃしているので、わたしと夫はMくんから醸し出される落ち着いた雰囲気に憧れている(笑)。


今日のMくんのこと。


朝、「おはようございます」と言って入ってきたところまではいつもの通りだったのに、ふと気づくと、洗濯物干しの前に、こちらに背を向けるようにして立っている。

どうしたのかな、と思って近づいて顔を見たら、泣いていた。

はじめは静かにぽろぽろ涙を流し、少ししゃくりあげて、声が小さくなっていって、涙が止まった。

つかれてるのかな?お母さんに叱られるとかなんかしたのかな?といろいろ思い浮かんだけど、なんか、それを聞き出すのは違うかな、と思った。人知れず(にしたかったんだろうな、背中向けて)、静かに涙を流し、自分で感情を収めていくMくんの様子を見ていて、そう思った。


「お水のむ?」と聞いたら、うん、というので、お水を汲んで渡した。

そのあとの出来事。

子ども達を見送り、朝の家事を済ませ、仕事を始める。メールを確認しながら、なんとなく朝の出来事を思い出していた。

そしたら突然、なんだかよくわからない涙が出てきた。特に悲しいことは起きていないはずなのに、ぽろぽろ涙が出てくる。とりあえず休憩にして、2、3分くらい頭を空っぽにして泣いた。そのあとお茶を淹れて飲んだ。

洗濯物干しと対峙していたMくんの背中や、小さい嗚咽を思い出した。「泣いていいよー」と、わたしはその時言ったんだった。

「泣いていいよー」、って、あたしじゃん!w

そのまま素直に泣いて、泣き終えて登校していったMくんの姿が、今度はわたしに「泣いていいよー」って言ってくれたんだな、と思った。

広告を非表示にする

本質をみること

新学期になってはじめてお友達と小競り合いしたらしい兄くん。

小競り合いの理由は、「手打ち(ハンドベース的なものか)」で、本当はセーフだったところをアウトとられて負けた、的ないつものパターン(また今年もこれか・・・)。

その話をひとしきりした後で、「もうひとつ気になっていることがある」という。

遊ぶ時のチームぎめで、「各チームで一番強い子が、かわりばんこに他の子を指名していく」という決め方をしているらしく、「それだと、最後の方になった子がいやな気持ちになるじゃん。でも必然的に誰かが最後になるじゃん。」と言う。

ほほー、と思う。


ルールや勝ち負けにこだわって友達にくってかかることも、弱い立場に立つ友達を気にかけることも、兄くんの中では矛盾がない。

できごとだけを見ているとまったく異なるふたつのものに見えるけど、その根底には、共通するその子のキーコンセプトというか、本質としてもっているものが横たわっている。それを見つけると子どもに対する理解が深まる、ということを、最近つくづく感じている。

「友達と仲良くできる子かどうか」というような通知表的尺度では、兄くんみたいなあらわれはたぶん測れないだろう。「ある/ない」「いい/わるい」を超えたところにあるものを、わたしは見たい。

兄くんの場合でいうと、彼には機会の均等性や公平さを重んじる感覚があるように見える。だから、「自分だけ得をする」も「自分だけ損をする」も、同じくらい耐えられないことなのだろう。

そこから出てくる「友達にくってかかる」や「友達を気にしつつだまっていた」という行動のレベルでは、改善や成長のポイントはもちろんある(そしてとても大事)。

でも、そこにだけ目を向けるのではなく、その子のどういう本質がその行動を取らせているのか、ということのほうを、できるだけたくさん見ていきたいと思う。

何より、そのほうが面白い。毎日が「ほほー」の連続になります。

広告を非表示にする

兄弟げんか

週末、やたらと兄弟げんかを見た。
聞き耳を立てていると、

兄「今わざとぶつかっただろ!」

弟「ぶつかったのはそっちでしょ!」

という、なんというか完全に昭和のヤンキー的な雰囲気。こういうのって変わらないんだなあ、と感心する。
本を取った取られた、おかずが多い少ない、ラムネを3こ食べた4こ食べた…etc。よくまあそんな小さいことでつっかかるなあ、と思ったり、だったら一緒にいなければいいのに、と思ったり。

とはいえ、家の中のエンドレスな小競り合いは聞いている方もかなりぐったりする。

それで、電車に乗って広い公園にでかけた。よく晴れていて、広々している。ボールも禁止じゃない(重要)。四人で思いっきり遊んだ。ふたりとも(いや、四人ともかな)、どこかとがっていた顔がすーっと素直な顔になった。時々ルールがああだったこうだったでちょっともめたりはしていたけれど、声を荒げるような場面はなかった。

園内でやっていた大道芸を一緒にみた。時々、兄も弟もちらっとこちらを振り返る。「今のすごかったね」とでもいうように。いい顔。かわいいなあ、と思う。そんな気持ちになったのも、わたしも久しぶりだった。

子ども達を眺めながら、そういえば新学期だったよ、と思い出した。進級して入学して、生活が変わった。まだまだ緊張があるんだろう。いつもよりがんばって、がまんもしたりして、毎日一所懸命やってるんだろうなあ。

そして、兄弟が、けんかしながらもすぐにくっついて一緒に遊んでいたことも思い出した。いつもより一緒にいる時間が長い。少し疲れた気持ち、不安な気持ち、緊張感…そんないろいろを、分かち合える相手なんだろう。

あーうるさいなあ聞いていられん…とだけ思っていた兄弟のけんかから、いろんなことが見えてきた。そういうのってがっちり対峙して目をこらしていても見えなくて、こうやって外にでて風に吹かれながらのほうがよっぽど見えてくるものだな、と思う。

そうだ、今年の夏は、兄弟を連れて旅に出よう、とふと思った。

広告を非表示にする

PTA(役員)始めました

この春1年生になった弟くんのクラスで…

PTAの学年部員になっちゃった!

と思ったら、

学年代表になっちゃった!

と思ったら、

学年部長になっちゃった!←イマココ

とんとん拍子でびっくり。毒を喰らわば皿までか。

PTAって割と今いろいろ言われてるじゃないですか。

わたしも3年間横目で見ながら、役員さんの働きぶりを見て、「いやー頭上がらないわ」って思ったり、「それにしてもこの仕組みとか活動の目的とか…?」とときどき疑問を感じたりしてきていて。

だからこそ、実際どんなものなのか見てみたい、というのが半分と、楽しくしたいって思っているならまず自分からだよな、というのが半分。

プライベートでのメールがどうも苦手で、未読のまま気づかず別途ご連絡いただいてしまう、なんてことが多いんだけど(…)、出すほうなら忘れないもんね〜笑

学校という場所に、やっぱりわたしは強い思いがあるんだと思う。

教師として10年間関わって、3年間親として関わって、ここからまた新しい関わり方が始まると思うと、ちょっと楽しみ。


小学校4年生という時期

久々の更新になりました。

弟くん卒園だわ〜、春休みだわ〜なんて言ってたら、あっというまに四月も残りわずか!(ワープしすぎ)

4年生に進級した兄くんのこと。

わたしの住んでいる地域は学童が3年生までで、兄くんが進級するにあたってはじめの懸案事項が「放課後の過ごし方」だった。なんとなくだけど、(放課後いっしょに遊ぶ友達いるのかなあこの人…)という漠然とした疑問があったのだ。

そんな親の懸念をよそに、兄くんはあっさり「放課後遊び」デビューをした。友達と待ち合わせて、塾に行くギリギリの時間まで遊んでいる。学童でももちろん自由遊びの時間はあったけれど、自己決定できる度合いが格段にアップしているのが嬉しいらしく、とにかくイキイキしている。日によっては「今日は他のことしたかったから家にいた」という日もあるのも、自分でペースつくれているようで、いい感じだな、と思う。その裏には「あ、そっか」と言ってそれを普通に受け入れている友達の存在があると思うから。

保護者会の時に、先生から「四年生の課題は自立と自律だと思っています」というお話があった。自分が楽しいと思う、がんばってできるようになる、自分のことを自分でできるようになる、といった自分を満たすベクトルのことが「自立」。そこから「仲間とどんな風に何をしていくか」に意識が広がって「自律」へ向かうのが4年生だ、とのこと。

教育活動を通して目指す子ども像が先生自身の言葉で語られていたことにも、その内容が「大人になる」ということを視野に入れたものであることにも、安心感があった。

教室の壁に、まだ空っぽの棚があった。「この棚をどう使うか、中身を選べる、使える、という自由がある代わりに、きれいに使う、なくさないで使うという責任も生まれる。そのことをまず個人でできるようになって、そこから学級全体のこととして考えていけるようにしていきたいんです」と先生。

こんな風に、理念が教室での一場面に落とし込まれているのも良かった。(うーんうまいわねえ、と思ったことも確かだけど笑)。「小4」という時期について、これまで今ひとつイメージがつかめていなかった。先生から大まかな指針を示してもらえてよかったな、と思う。

兄くんは今朝、「4年生の生活、けっこう気に入っているんだよね〜」と言い残して登校していった。

もちろんここからまた、疲れてふてくされたり、期待したり絶望したり、投げ出したり拾ってきたり、こんがらがったりほどけたりの生活が始まっていくんだろう。それを近くでただ見届けることだけが親の仕事のほぼ全部ですよねハイ…という気持ちで、今のところはいます。

保育園の先生から教わったこと

もうすぐ弟くんは5年間通った保育園を卒園する。

5年間受け持ってくださった担任の先生はS先生といって、弟くんが入った頃はまだ20代の新米先生だった。始めの頃は、ちょいちょいベテランの先生に注意され、「すみません〜」と頼りなさそうに謝っている姿を見かけた。先生が叱られていると、わたしまでしゅんとしてしまったりして、親も先生も、一緒に育ってる感じがしていた。

でも、あたりまえだけど先生はプロフェッショナルだ。みるみるうちに、すばらしい、頼もしい保育士さんになっていっていった。

今年の運動会の大縄くぐりでは、縄の手前で動けなくなった子がいた。空のまま周り続ける縄を会場じゅうで固唾をのんで見守っていると、後ろのほうにいた女の子がやってきて、その子に何か話しかけた。その子がうなずくと、ふたりは手をつないで輪をくぐった。ふたりのお母さんも、周りのお母さんたちも、ちょっと泣いてた。

冬の子ども会の劇では、だれかのせりふが飛んでしまった。「次、◯◯ちゃんだよ」「違うよ!」「先生に聞いてみる?」などと小声でもめ続けること数分間。話し合いの結果、「もう一度ここからやります」と子ども達がしきり直した時には、どよめきと拍手が起きた。

どの時も、先生が子ども達をしっかり信じて待っていてくれてたからこそ起きたことだと思う。そうやって、5年間育ててもらってきたのだとも。

それは卒園式でも、同じだった。

式の中で、ひとりひとりがこれからやりたいことやおうちの人への感謝を話す場面がありった。なかなか言葉が出てこない子もいるし、本番でぱっと思いついたことを言い出してしどろもどろになる子もいる。中には「言わない」ということを選ぶ子もいた。「言いたくない?」と尋ねられ、その子は「うん、言わない」と静かに答えてそのまま席に戻った。さすがにわたしたち親も慣れてきて、ゆったり見守っていた。もう、誰も慌てないし驚かない。

S先生には、体裁を整えるとかきっちり仕込むという発想は、たぶんあんまりないのだと思う。式や運動会のような「晴れ舞台」っぽい場面でも、その瞬間に子どもの側から起きてくることをいつでも尊重しているようにみえる。待つってどういうことか、子どもの主体性が発揮されることがどんなにすばらしいか、わたしは10も年下のS先生に教わりっぱなしだった。

そういう先生に、弟くんの幼少期の5年間を見ていただけたことは本当に幸運だった。降園時にはよく「弟くんの今日の名言」を教えてもらい、ふたりで爆笑した。弟くんが友達とけんかした時には、弟くんの気持ちについて真剣に話した。

昨日の晩、弟くんは「S先生、小学校には来ないんだって」と言って、さめざめ泣いていた。そうだよね、お母さんもさびしいよ。

でも、親子共々そんな風に思えるのって幸せだ。S先生、5年間ほんとうにありがとうございました。