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子ども観察記+α

兄(9歳・小3)と弟(6歳・保育園児)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

保育園の先生から教わったこと

もうすぐ弟くんは5年間通った保育園を卒園する。

5年間受け持ってくださった担任の先生はS先生といって、弟くんが入った頃はまだ20代の新米先生だった。始めの頃は、ちょいちょいベテランの先生に注意され、「すみません〜」と頼りなさそうに謝っている姿を見かけた。先生が叱られていると、わたしまでしゅんとしてしまったりして、親も先生も、一緒に育ってる感じがしていた。

でも、あたりまえだけど先生はプロフェッショナルだ。みるみるうちに、すばらしい、頼もしい保育士さんになっていっていった。

今年の運動会の大縄くぐりでは、縄の手前で動けなくなった子がいた。空のまま周り続ける縄を会場じゅうで固唾をのんで見守っていると、後ろのほうにいた女の子がやってきて、その子に何か話しかけた。その子がうなずくと、ふたりは手をつないで輪をくぐった。ふたりのお母さんも、周りのお母さんたちも、ちょっと泣いてた。

冬の子ども会の劇では、だれかのせりふが飛んでしまった。「次、◯◯ちゃんだよ」「違うよ!」「先生に聞いてみる?」などと小声でもめ続けること数分間。話し合いの結果、「もう一度ここからやります」と子ども達がしきり直した時には、どよめきと拍手が起きた。

どの時も、先生が子ども達をしっかり信じて待っていてくれてたからこそ起きたことだと思う。そうやって、5年間育ててもらってきたのだとも。

それは卒園式でも、同じだった。

式の中で、ひとりひとりがこれからやりたいことやおうちの人への感謝を話す場面がありった。なかなか言葉が出てこない子もいるし、本番でぱっと思いついたことを言い出してしどろもどろになる子もいる。中には「言わない」ということを選ぶ子もいた。「言いたくない?」と尋ねられ、その子は「うん、言わない」と静かに答えてそのまま席に戻った。さすがにわたしたち親も慣れてきて、ゆったり見守っていた。もう、誰も慌てないし驚かない。

S先生には、体裁を整えるとかきっちり仕込むという発想は、たぶんあんまりないのだと思う。式や運動会のような「晴れ舞台」っぽい場面でも、その瞬間に子どもの側から起きてくることをいつでも尊重しているようにみえる。待つってどういうことか、子どもの主体性が発揮されることがどんなにすばらしいか、わたしは10も年下のS先生に教わりっぱなしだった。

そういう先生に、弟くんの幼少期の5年間を見ていただけたことは本当に幸運だった。降園時にはよく「弟くんの今日の名言」を教えてもらい、ふたりで爆笑した。弟くんが友達とけんかした時には、弟くんの気持ちについて真剣に話した。

昨日の晩、弟くんは「S先生、小学校には来ないんだって」と言って、さめざめ泣いていた。そうだよね、お母さんもさびしいよ。

でも、親子共々そんな風に思えるのって幸せだ。S先生、5年間ほんとうにありがとうございました。

兄くん塾通い1か月

兄くんが、某大手進学塾に通塾し始めてから1か月経ちました。
塾の先生から「週3回、17時から20時すぎまでです」と聞いた時には驚いたというかなんというか、え、ごめん意味が分からないもう一回言ってくれる?って気持ちになってましたが、1か月経った今は、「(兄くんについては)これもあり…いや、むしろかなりよい選択だったのかも」という気持ちになっています。

今の時点で感じているポジネガ両面の変化について、書き留めておきます。

まず、前提として、兄くんは本質的に勉強が好きで得意です。ただし、学校ではそれがなかなか発揮されにくいし評価もされにくい。そんな、いわゆる「吹きこぼれ」のエネルギーの持って行き場として、今我が家が取り得る方法としては、通塾は最適だったのでは、という気がしています。
ポジティブで頼りになる男の先生(ここが意外なポイントかも、と思ってます。小学校も家庭も、良くも悪くも母性的な場なので)がさくさく面白いことを教えてくれて、がんがん問題解いて、週に1回テストで競える…みたいなの、好きな人は好きだよね…、という感じ。(わたしは息できなくなりそうですが)

学校の授業に対してもフラストレーションを見せなくなってもきているようでもありますが(担任の先生談)、この辺はもうちょっと要観察。

もうひとつ、通塾を機に、家庭環境の棚卸しができました。家計についても、家族ひとりひとりのスケジュールも、教育観も、見直す必要のあることがたくさん見えてきたのが良かった。保育園から学童にスムーズに移行できたこともあり、実は物理的な小1の壁はそんなに感じていなかった我が家。乳幼児期から基本変わってなかった諸々について、もう古くなっているところは終わらせて、新しいものを取り入れていくきっかけになりました。

具体的には、就寝時間を弟くんは30分、兄くんは1時間後ろ倒しにしたことが大きかった。これまで、「何がなんでも21時までに寝かす!」って思ってたけど、そこを手放してみたら、夕食も余裕をもって作ったり食べたりできるようになり、弟くんと遊ぶ時間も増えました。帰宅してから寝るまでのプロセスを、ひとつひとつ丁寧にできるようになってきた感じがしています。

もう一つ、夫のワークライフバランスが、(暫定的にかもしれませんが)変化しています。長らく深夜残業がデフォルトの夫ですが、「兄くんの塾お迎えに、できる限り行く」という要件が入ったら、急に帰宅が早まりました…。兄くんの学習フォローに関しても夫マターにしたので、質的にも、夫と子どもとの関わりが増えてきた気がする。日曜日に難しい問題をあーだこーだ言いながらやってる姿は、なかなか楽しそうです。

もちろん課題もけっこうあります。ひとつは家での学習量の問題。今はまだ、週末の朝、2時間くらい塾の宿題をやって、あとは平日10分くらいでちょちょっと学校の宿題をやる、って感じで済んでるので、懸念していた「家に帰ってからも宿題でぎっちぎち、遊ぶ時間はゼロ」っていう状況にはなってないんだけど、そのバランスが崩れてきたらちょっと考えるかも。「遊びたい」も発揮できる時間をキープすることは大前提にしたいと思ってます。

もうひとつ。弟くんが、寂しそうです。塾のある日の夜はお兄ちゃんとほとんど遊べないので、ぽつーんとしています。まあ、代わりにわたしと遊ぶようになったし、それまで弟くんと1対1でいる時間ってほとんどなかったので、そういう時間が生まれたということでもあるので、いいとも悪いとも言えないですが。弟くんは、兄くんと思いっきり遊べる週末を心待ちにしています…

現時点では進学を視野に入れてる訳ではないので、塾が本格的に受験モードに突入した頃がまた考え時かな…「そんなにはやりたくないよ!」って思うことになりそうですが笑、今のところは塾の存在がとてもありがたいです。

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子どものトラブルと、どう向き合おう

兄くんが先週、今週と立て続けに学校でトラブルを起こしまして、いろいろ気づいたことがあるので書いておこう、と思い立ちました。

兄くん、実は小学校ではけっこうなトラブル量産型少年です。お友達にくってかかった、先生にくってかかった、暴れて手が当たった頭がぶつかった投げた筆箱があたった…たびたび学校からお電話をいただき、本人に事情をきき、相手のお宅にお詫びに伺い、気持ちに寄り添ったり言い含めたり怒ったり育児書を読んで解決法的な何かを探してみたり…まあいろいろしてきました。専門機関にも連れて行ってみました。たぶん「やんちゃなお子さんで」って言われがちなお子をもつ親なら考えつくようなことを一通りしてきた、と思います。


秋口から、落ち着いてきたなー、成長してきたのかな、ふふふ、とか思ってた矢先だったので、先週今週の電話を受けた時には、かなり動揺しました。一瞬、「あーもうやだ、このまま3学期終わるまで休んでてくれないかなあ…」って思ったよ…!!

だいたい電話をもらった瞬間って、ぐーっと視野が狭くなる感じがあります。目の前暗くなる、って本当だ。で次に、「お宅のしつけどうなってるの?」って、内なる声が聞こえてきます。(なぜかたいていおじさんの声で聞こえてくる笑。)電話口では、事実関係を把握して相手の子の様子を確認して、ご面倒かけますご連絡ありがとうございます先方にもすぐにお電話いたしますね、とかやってる間に、脳内では、親のあたしが悪いのかな?いや、夫が悪い?先生の対応は?っていうか兄くんどっかおかしいのかな?…と、悪者探しがばばばーっと展開する。 

でも、悪者っていないんですよねーほんとに。何が(誰が)悪いんだろう、っていう視点からは、ほんとに、何事も、ひとっつも進まない。

だから、悪者探しは一通り気が済んだらやめるようにしています。(逆に、気が済むまでは、あえて止めずにじーっとしています。)

あと、いろんな要素がばーっと一緒くたになったままだと混乱するので、ひとまず思ってることを、そのまま口に出してみるといいんだな(ただし一人の時か、本当にただ聞いてくれる人相手に)、ということに昨日は気づきました。その時一緒にいた友達に、「あーあ、保護者会行きづらいな〜」と自己都合100%なことをあえて口にしてみたら、案外良かった笑。実際言ってみたら、まあいまさらそんな体裁を気にしてもしょうがない、他に考えた方がいいことはたくさんある、って本当に思えたから。

口にしてみると、内側の圧が下がる感覚になるんですよね。視野も広くなる。そうしたら、起きてることに「誰にとっての」「どんな課題」があるのか見えてきます。ここまでクリアになる前に行動してしまうと、お詫びのつもりが言い訳になったり、兄くんをサポートするつもりが嘆きや怒りの表出になったり、混乱することが多い(体験済み…)。

そんな風にして整理していったら、相手の怪我の状況が心配なことと、兄くんの中で何が今課題なのかを知りたい、ということだけが残ったので、帰宅してからはそれぞれのために行動しました。

相手の子の怪我は、幸い軽くて済みました。兄くんの課題(友達と関わりたいんだけどもどうもうまくいかない)についても理解が深まりました。ふたつとも、本当によかった。

それにしても、小手先ではとことんどうにもならなくて、その都度いろんなことに直面する世界なんだな、子育てって。

「やればできる」ということ

息子たちの剣道の稽古を、久々に始めから終わりまで見た。
型の稽古が主なので、見ていて「スポーツをやっている」という感じはしない。子ども達も、楽しくて夢中になる、という雰囲気ではないが、お腹に力を入れて張りのある声を出したり、身体の中心がぶれないような無駄のない動きをするというのは特別な気持ちよさがあるのだろう。みんな、いい顔をして練習している。

長男は剣道を始めて3年になる。実はつい最近まで、あまり熱中している様子はなかった。模倣が苦手なので、先生のお手本通りに動くことが難しい。手先が不器用なので、防具をつけるのに時間がかかる。思いっきり走り回るのが好きなのに、そういう場面は特にない。そんな訳で、面白そうな顔もせず、それでもなぜかやめたいとも言わず、毎週通い続けていた。

それが、ここ数ヶ月で変わってきた。竹刀がぶれなくなってきた。面もまっすぐに入るようになってきた。先生が指導のために声をかけると、ぱっと動きを止めて見るようになった。防具の置き方もお作法通りにできるようになってきた。ここまでで3年…と思わなくもないけれど、とにかく、これまでしてきたさまざまな体験が、急につながり始めたような感じがある。

今日、一緒に組んだ友達に「おまえ剣先が下がりすぎ!」と言われていた。なかなか直らなかったのか、くりかえし、最後のほうには、ややからかうような口調で言われていた。

これまでの兄だったらつっかかっていただろう。(実際に何度かけんかに発展したことがある。)でも今日の長男は、黙って剣先を微調整していた。焦りも怒りもせず、淡々とした表情だった。そうか、上達してくると、聞けることが増えるんだな、と思った。

「やればできる」というルートは、実はそんなにたやすくたどれるものではない。やってみること、続けること、できるようになるきっかけをつかむこと、できるようになること、その「できる」が定着すること…そのうちのどこかの段階で止まってしまい、投げ出したことの何と多いことか、と自分を振り返ってみて、思う。

しかし長男は、最も苦手っぽい分野である剣道で、今、小さいけれど「やればできる」のサイクルを回しはじめているように見える。そしてそのことは、自分自身に対する信頼へと、確実につながっているんじゃないかな、と思う。

覚えた言葉を使いたい

弟くんをお迎えに行ったら、顔が腫れていた。どこかにぶつけたかな、と先生も心配な様子。「痛くない?」と聞いたら、
「そんなの痛くもかゆくもないよ!」と唐突に慣用句が降ってきて、思わず先生と笑ってしまった。使い方があってるような間違ってるような。

「覚えたての言葉を使ってみたい」という気持ちが、兄も弟も、強い。漢語も慣用句も、比較的幼い頃から会話の中にばんばん入っている。「はー疲れたー」と言えばいいところを、「体力が激しく消耗してる〜!」とかいう保育園児…身体は小さいのに、口調がおじさんみたいだ。

今日、「街場の文体論」(内田樹)の読書会に参加した。会話の中で「語彙が増えるとはどういうことか」に話題が及んだ時に、ぱーっと、自分の小さい頃のことが蘇った。

わたしも兄弟と同じように、聞きかじった言葉をよく使ってみる子どもだった。最初はとにかく、聞いたことを口に載せてみたいのだ。言ってみると、だいたい周りの大人は笑う。今思うとそれが嬉しくてやっていた部分も大きかった。あの、大人たちの温かい笑いが懐かしい。

幼い口調で言うからギャップがあるし、だいたい場にそぐわない大仰な表現になる。そして微妙に使い方が違ってたりする。そういうことの面白さもあれば、言葉を獲得したいという子どもの好奇心に対する好感もある。…大人たちの笑いの中には、いろいろなものが混じっていたと思う。「お前が話すと話が難しくなる」と苦笑されることもあったけど、でも全体的には、せいいっぱい背伸びし、成長しようとしている自分が喜ばれている、寿がれているような感覚があった。

「痛くもかゆくもないよ」って言う弟くんの口調が妙におかしくて、わたしは先生と一緒に笑った。さっき棚のパンを持ち出しながら「ぼくはしょうこりもなくパンをぬすみぐいするよ!」と宣言していた時も。これってほんとうにささいな、日々くりかえされることだけれど、その都度、おかしくて、笑っちゃって、愛おしい、と思う。

こうやって、兄弟たちが、楽しさの中で言葉を覚えていっている様子を側で見ていることが、わたしにとっては子育てのうちの大きな喜びのひとつだな、と思う。

参加した読書会はこちらです。

eriie.hatenablog.com

兄、真面目化する。

長男が最近、真面目化している。
宿題をやる。予定を調べる。時間通りに寝て、起きる。さっさと食事をし、食器をかたづけ、着替え、さわやかに登校していく。

これまでは「真面目担当」は母親のわたしのほうだった。(と思う)
自分が小学生の頃はロクにやったことのない宿題を「やりなさーい」と言い、飲み会で鍵落として帰ったりするのに「予定調べた?」と聞いてきた。

長男はその間、予定を調べかけては隣に置いてある「戦国ものしり事典」を読み始め、宿題のプリントを開いては電車の路線図を書き始め…と、なかなか「すべきこと」が進まなかった。やりたいことを先にやらないと他のことが手につかないタイプなんだよなー、と苦笑まじりに思っていた。

それが、このところ変わってきた。帰宅してさっさとランドセルを開き、学校からのプリントを見せ、宿題を片づけることが増えた。隣にはPCを開き、資料が積んであるその上でぼーっと漫画を読んでいる母親(←自分)。真面目担当が完全に交代している。

昨日から長男の塾通いが始まった。帰宅してから急いでおむすびを食べ、バスに乗って出かけて行った。帰宅は遅く、ご飯を食べてお風呂に入って、学校の宿題するのでせいいっぱい。ものしり事典や路線図の入る隙間はなかった。ほんとに見事に。

今朝、長男が「なんか最近ぼく真面目化している」と、言ったのだ。はっとして顔を見たら、いつもののんびりした表情だったので少しほっとした。「真面目化ってどんな感じするの?」と聞いてみたら、「力をちゃんと出しているって思うんだよねー」と返ってきた。

それなら良かった、と思うものの、やはりどこか腑に落ちない。子どもが21時過ぎに帰宅することや、隙間のないスケジュール感に「これでいいの?」という気持ちがある。その中で「真面目」にやっていこうとしている息子にも。そんなことなら宿題やんなくたっていいし学校のプリント出してくれなくてもいいよ…(いや、それはないか笑)。

でもそう思っているのは、目下のところわたしだけらしい。息子は今のところ、新しい体験を楽しんでいるようだ。

「力をちゃんと出している感じ」という喜びの中には、いろんなものが含まれると思う。満たされる喜びもだけど、できてうれしい、ほめられてうれしい、整っていてスムーズ、前の自分とは違う風になっていくことが面白い…いろいろある。だから、いろんなことを体験したらいい。その上で、これは違うな、と思った時には、周りのことなんか気にせずに、止まったり戻ったり他の道へ行ったりすればいい。それは完全に自由だよ、ということだけは、ちゃんと伝えていこうと、それだけを今は決めている。



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いい月曜日。

月曜の朝、みんなが出かけていったあとで部屋を片づけながら、土日のことを思い出す時間がけっこう好きだ。

リビングのどまんなかに、「ラキュー」の箱が置いてある。昨日の晩、弟くんがつくっていた新幹線の途中までできあがっている。「つくりおわるまでねない!」と言い張って、みんなが寝たあとまで起きてつくっていた。今朝も「これ誰もさわらないでね!お母さん続きやっちゃだめだよ!」と念押ししていた(やらないよ…)

ベランダには、兄が干していった洗濯物がかかっている。袖が中に入ってるのもある。というか今紅白帽が干してあるのを発見したんだけど、大丈夫か兄。

テーブルには夫の淹れてくれたコーヒーが載っている。今朝、ふだん飲むコーヒーが切れていて、そういえばパックのドリップコーヒーの使いかけあるなあ…と思いつつ、探すのが面倒なので「コーヒー切らした」と言い張ってたら、「ふーーーーーん」と言って、夫が見つけてきたのだった。

日曜はずーっと4人で家にいて、しかも兄弟がやたらと歌をうたいまくるので、静かな時間がないとつらいわたしは何度か気を失いそうになった。一度は近くのコーヒー屋さんに家出して、ひといきついて戻ったりもしたんだった。

今こうして静かな部屋の中にひとりでいることの尊さよ!と思う。夕方になれば戻ってくる喧噪も含めて、尊い。

これからわたしはコーヒーを淹れ直し、夕方まで家で仕事をする。お昼は近くのパン屋に買いに行く。兄に頼まれていた赤青えんぴつとノートも買う。部屋のまんなかのラキューは、うっかりふまないようにして過ごす。

いい月曜日だ。



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