子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

兄、真面目化する。

長男が最近、真面目化している。
宿題をやる。予定を調べる。時間通りに寝て、起きる。さっさと食事をし、食器をかたづけ、着替え、さわやかに登校していく。

これまでは「真面目担当」は母親のわたしのほうだった。(と思う)
自分が小学生の頃はロクにやったことのない宿題を「やりなさーい」と言い、飲み会で鍵落として帰ったりするのに「予定調べた?」と聞いてきた。

長男はその間、予定を調べかけては隣に置いてある「戦国ものしり事典」を読み始め、宿題のプリントを開いては電車の路線図を書き始め…と、なかなか「すべきこと」が進まなかった。やりたいことを先にやらないと他のことが手につかないタイプなんだよなー、と苦笑まじりに思っていた。

それが、このところ変わってきた。帰宅してさっさとランドセルを開き、学校からのプリントを見せ、宿題を片づけることが増えた。隣にはPCを開き、資料が積んであるその上でぼーっと漫画を読んでいる母親(←自分)。真面目担当が完全に交代している。

昨日から長男の塾通いが始まった。帰宅してから急いでおむすびを食べ、バスに乗って出かけて行った。帰宅は遅く、ご飯を食べてお風呂に入って、学校の宿題するのでせいいっぱい。ものしり事典や路線図の入る隙間はなかった。ほんとに見事に。

今朝、長男が「なんか最近ぼく真面目化している」と、言ったのだ。はっとして顔を見たら、いつもののんびりした表情だったので少しほっとした。「真面目化ってどんな感じするの?」と聞いてみたら、「力をちゃんと出しているって思うんだよねー」と返ってきた。

それなら良かった、と思うものの、やはりどこか腑に落ちない。子どもが21時過ぎに帰宅することや、隙間のないスケジュール感に「これでいいの?」という気持ちがある。その中で「真面目」にやっていこうとしている息子にも。そんなことなら宿題やんなくたっていいし学校のプリント出してくれなくてもいいよ…(いや、それはないか笑)。

でもそう思っているのは、目下のところわたしだけらしい。息子は今のところ、新しい体験を楽しんでいるようだ。

「力をちゃんと出している感じ」という喜びの中には、いろんなものが含まれると思う。満たされる喜びもだけど、できてうれしい、ほめられてうれしい、整っていてスムーズ、前の自分とは違う風になっていくことが面白い…いろいろある。だから、いろんなことを体験したらいい。その上で、これは違うな、と思った時には、周りのことなんか気にせずに、止まったり戻ったり他の道へ行ったりすればいい。それは完全に自由だよ、ということだけは、ちゃんと伝えていこうと、それだけを今は決めている。