子ども観察記+α

兄(9歳・小4)と弟(6歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

自由に育ってほしいし言うこと聞いてほしい

少しずつ自己裁量でできる部分を増やしていけたらいいかな、と思い、衣類の管理やチョイスを子どもたちに任せている。その日何を着ていくかも、自分で決めてね、と言っている。

簡単なことだけど、実は案外試される。たとえば上下迷彩柄で出かけようとする兄くんが目に入った時に。まだ日中はけっこう暑いのに、弟くんが暑そうな長袖長ズボンを着込んでいた時に。

「望ましいありかた」を「教えたい」という気持ちと、「自分で自由に選択すればいいよ」という気持ちが、いつもけっこうせめぎあう。上下迷彩柄じゃないほうがいいだろう、というのも、この気温で長袖は暑いだろうというのも、わたしの考えであって「教える」ようなものではないはずなんだけど、でも、その逡巡は、「ちゃんと教えなくていいのだろうか」というフレーズになって現れがちだ。なんだかんだと、「言うこと聞かせたい」があるのだ。「自由に育ってほしい」という気持ちと同じくらいに強く。

強制っぽくなく優しく言えばいい、とか、Iメッセージで伝えればいい、とかいうような言い方の問題でもない。「子どもたちが自由に選択した結果がわたしの意に沿うような形であってほしい」という矛盾した思いがわたしの中にある限り、彼らはそれをそのまま受け取ってしまうだろう。それはしたくないので、そういう時には、何も言わずにしばらくそのままじーっとしてみることにしている。

そんな訳で今日、じーっとしていたら、なぜそのチョイスなのか、純粋に聞いてみたくなってきた。

(兄)「このシャツとパンツがいちばん着心地いい」
(弟)「外がくもっているから念のため」
と明快に答えて、息子たちはさわやかに登校していった。

 

子どもたちの服のチョイスを、「何も考えずに雑に着てる」みたいに思ってて、それがいやだったんだなわたしは、と思った。そうではなく、子どもたちなりの選択があったことに、ほっとした。

こんな風に、自分が「本当は何を問題としていたか」がわかるだけで、ああそうなのか、とすっきりすることは多い。誤解だってこともあるし、そうじゃなくても、ニュートラルに伝えられる可能性が出てくる。だから、問題点がクリアになるまでとにかくちょっとだけ止まろう。急いだり、不安になったりすることは何もない。