子ども観察記+α

兄(9歳・小4)と弟(6歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

役立たずだけど愛してほしい

自分の不手際で仕事に支障が生じた。対応のために出かけた帰りの電車の中で、脳内反省会を繰り広げる。「こうすればよかった」「こうすべきだった」がひとしきり巡ったあとで、ふっと「あーほんとに役立たずだわあたし」という言葉が浮かんで、ぎくりとした。

「どうせぼくは役立たずなんだ!」と、小1息子が時々言うのを思い出したのだ。そういえばこのあいだの日曜日にも、そんなことがあったばかりだった。あの時は、「宿題やり忘れてただけで役立たずなんて言わなくていいよ」と半分流してしまってたけど、せっかく時間がぽかりと空いたので(なにしろ40分も電車に揺られていたので)、考えてみることにした。

自分のことを役立たずだと言うとき、そこには何があるんだろう。

投げ出したい、無力だ、代わりに誰かにやってほしい、そんなのやらなくていいって言ってほしい・・・思い浮かぶままに任せていたら、「許してほしい」とか、「容認してほしい」「それでもいいよって言ってほしい」という言葉がどどっと出てきた。「役立たずなんだ!」と言ったときの、息子の声音や表情を思い出す。自分に絶望するというよりは、わたしに対して何か訴えるような、声と顔だった。

要するに、「こんなに役立たずな自分だけど、愛してくれる?」って言ってたんだな、あれは。それがわからなかったから「役立たずなんかじゃないよ」と、だいぶ見当違いな答えを返してしまった。

「愛してくれる?」って、ただ単にそう伝えればいいのに、なぜわざわざ「こんな自分だけど」というハードルを置くんだろう。息子も、わたしも。