子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

連休中のひとり時間

伊豆の実家に帰省中の昨日、静岡市美術館の「アルバレス・ブラボ写真展」のポスターを見かけた。

写真家の名前は知らなかったけれど、バルコニーで頬杖をついて下のほうを覗き込んでいる少女の写真に惹かれた。見てみたい。東京にも回ってくるんじゃないかな、と検索をかけてみたら、東京の日程は昨年のうちに終わっていて、しかも静岡が最終だった。


「これ見たい!明日行かない?」とまずは家族を誘ってみる。えー、明日?明日は帰って宿題やんないとなあ(兄)、とか、混むんじゃない?(夫)とか、いいけど妖怪ウォッチの前に帰れる?(弟)、とか、おもいおもいの反応が返ってくる。

「じゃああたしひとりで行ってこようかなー。」と言うと、「じゃあ帰りに小田原城寄ってく?」などと男三人で相談をはじめ、ひとり時間が急きょ出現した。

数年前のわたしだったら、ここで「ひとりで行くね」とは言わなかったかもしれない。帰省中だし、家族と一緒に過ごしてるんだし、明日はもう東京に戻るんだし、そもそも静岡微妙に遠いし・・・「べき」という言葉すら入らないくらい自然に「決まっている」と思い込んでたことが多かった。

自分の中にある、「美しいものに触れること」「ひとりの時間をもつこと」への切実さに気づいてから、わたしはその言葉にすらなっていない「べき」をひとつひとつ外していっている。(今はまだその過程にいる。)

今朝、新幹線のホームで、東京方面と名古屋方面に分かれて乗るのが新鮮だった。「母として存在する」ということにわたしも(たぶん夫も)割とこだわりがちで、それが時には居心地よくもあるから、「行かない理由」「しない理由」なんていくらでも見つかる。でも、そこをあえて一歩動いてみることで見える景色は、いつでも広々とひらけていて、爽快だ。

アルバレス・ブラボの写真は、とても美しかった。その写真を見るために、連休の中日ひとりで新幹線に乗ったことを、きっとわたしは長く覚えていると思う。