子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

保育園の先生から教わったこと

もうすぐ弟くんは5年間通った保育園を卒園する。

5年間受け持ってくださった担任の先生はS先生といって、弟くんが入った頃はまだ20代の新米先生だった。始めの頃は、ちょいちょいベテランの先生に注意され、「すみません〜」と頼りなさそうに謝っている姿を見かけた。先生が叱られていると、わたしまでしゅんとしてしまったりして、親も先生も、一緒に育ってる感じがしていた。

でも、あたりまえだけど先生はプロフェッショナルだ。みるみるうちに、すばらしい、頼もしい保育士さんになっていっていった。

今年の運動会の大縄くぐりでは、縄の手前で動けなくなった子がいた。空のまま周り続ける縄を会場じゅうで固唾をのんで見守っていると、後ろのほうにいた女の子がやってきて、その子に何か話しかけた。その子がうなずくと、ふたりは手をつないで輪をくぐった。ふたりのお母さんも、周りのお母さんたちも、ちょっと泣いてた。

冬の子ども会の劇では、だれかのせりふが飛んでしまった。「次、◯◯ちゃんだよ」「違うよ!」「先生に聞いてみる?」などと小声でもめ続けること数分間。話し合いの結果、「もう一度ここからやります」と子ども達がしきり直した時には、どよめきと拍手が起きた。

どの時も、先生が子ども達をしっかり信じて待っていてくれてたからこそ起きたことだと思う。そうやって、5年間育ててもらってきたのだとも。

それは卒園式でも、同じだった。

式の中で、ひとりひとりがこれからやりたいことやおうちの人への感謝を話す場面がありった。なかなか言葉が出てこない子もいるし、本番でぱっと思いついたことを言い出してしどろもどろになる子もいる。中には「言わない」ということを選ぶ子もいた。「言いたくない?」と尋ねられ、その子は「うん、言わない」と静かに答えてそのまま席に戻った。さすがにわたしたち親も慣れてきて、ゆったり見守っていた。もう、誰も慌てないし驚かない。

S先生には、体裁を整えるとかきっちり仕込むという発想は、たぶんあんまりないのだと思う。式や運動会のような「晴れ舞台」っぽい場面でも、その瞬間に子どもの側から起きてくることをいつでも尊重しているようにみえる。待つってどういうことか、子どもの主体性が発揮されることがどんなにすばらしいか、わたしは10も年下のS先生に教わりっぱなしだった。

そういう先生に、弟くんの幼少期の5年間を見ていただけたことは本当に幸運だった。降園時にはよく「弟くんの今日の名言」を教えてもらい、ふたりで爆笑した。弟くんが友達とけんかした時には、弟くんの気持ちについて真剣に話した。

昨日の晩、弟くんは「S先生、小学校には来ないんだって」と言って、さめざめ泣いていた。そうだよね、お母さんもさびしいよ。

でも、親子共々そんな風に思えるのって幸せだ。S先生、5年間ほんとうにありがとうございました。