読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

子ども観察記+α

兄(9歳・小3)と弟(6歳・保育園児)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

ぼくなんかいなければいい

先日来、何人かの友人がSNSでこの記事をシェアしている。

blogos.com


これを読んで、少し前にあった次男とのやりとりを思い出した。

次男はその日、兄の文房具を持ち出してこちょこちょいたずらしていて、止めても止めてもなかなかやめなかった。「やめて」とくりかえして言っても聞かない。夫が「そっか、きみは話が聞けないんだね」と言ったとたん、それまでにやにやふざけていた次男が急に、

「お兄ちゃんばっかり!ぼくなんていなければいいんだ!!」と、言ったのだ。

もう、びっくりした。その場は「お兄ちゃんばっかり」的なシーンではなかったし、「ぼくなんていなければいいんだ」の言葉の重さは、起きてることとあまりにも不釣り合いに見えた。

夫が「そんなこと間違っても言うなよ」と言うのと、「弟くん、それほんとうに思ってる?」とわたしが聞くのがほぼ同時だった。

わたしのほうが一見「聞く感じ」にはなってたと思うけど、でも、彼の言葉を正面から受け止めてないところは一緒だった。次男はその後本格的に怒り始め、そこからのやりとりでようやく「お兄ちゃんばっかり」の根っこを探り当てることができた。

この記事の中には自傷行為をする子どもたちに対する大人たちの「甘えている」という反応が紹介されていた。また、「死ね」が口癖の子に対して「ユーモラスに」そんなこと言わないでよ、と声をかけて抱きしめる、という方法も(記事では「問題のある方法」として)紹介されていた。

記事に出ていたこれらの反応と、自分たちが次男に返した言葉は、おそらく同じ種類のものだという気がした。どこかに、子どもたちの表現を「かわす」「ふさぐ」感覚が入っているように感じる。

とっさに「かわす」のはなぜか。わたしの場合でいうと、たぶん、こわいのだ。子どもの声を、本当の意味でちゃんと受け取る、ということが。ちゃんと聞いてしまったら、もしかしたら自分はそれを受け止めることができないかもしれない。親なのに。(この「親なのに」を外せば、きっともっと聞けることは増えるんだろう、と思うんだけど、なかなか難しい)

そう思ったら、「まだいのちの大切さを知らないたかだか6歳の子が、どこかで聞いたことを言っているだけ」と思い込んだほうが、はるかに楽だ。そして、「そんなこと簡単に言っちゃいけない。あなたは大切な人なんだから」という風に、論点をすりかえた方が、楽なのだ。

でもそうやって「大切だよ」と言葉でねじふせた瞬間に、大切にしてほしい、という声を潰すことになる。

その、「ぼくなんていなければいい」から数日、次男の様子を見ていたら、それまで見えてこなかったものが見えてきた。なんだかすごくはしゃいでるけどちょっと背中のへんが強ばってる感じだな、とか、今は表情も呼吸も落ち着いてるな、とか。あ、今表情が陰ったな、とか。そういうことを感じ取れることが増えたかもしれない。そして、そんな風に感じ取れているときは、言葉でのやりとりも無理がない。スムーズに流れていく。

積極的に話しかけてくる長男と話している時間のほうが長い、とか、ここのところ長男の用事が増え、それに次男をつきあわせることが増えている、とか、いくつかの発見もあった。

やや耳(&言葉)頼りになりがちな子どもとのコミュニケーション。もうちょっと他の感覚も使っていけるようになるといいな、と思っている。