子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

困らないように

次男の保育園の保護者会で、近隣小学校(兄の小学校)の校長先生からお話を聞いた。

「就学前に身につけておいてほしいこと」の話がメインだった。あいさつと返事がしっかりできるように、言葉遣いを丁寧に、自分の非を素直に認めるように、早寝早起きできるように…etc。「これができていれば、学校生活には困らないと思います」と校長先生。

うーーん、と思う。ひとつひとつに異論はないんだけど、どうも、聞いててテンションが上がらない。配布されたプリントには「楽しく学校に通えることが一番です」と書いてあるんだけど(一瞬ブラックジョークかと思った…)、これをできるようにしておいてください、というリクエストばかりで、「あー学校楽しみ!」という感じにならないのだ。他のお母さんたちも、こりゃ大変だという顔をしている。

やや固い雰囲気の中で、ふと、(この先生は子どもたちをどんな方向へ導いていきたいのかな)と興味がわいた。学校教育目標でもいいんだけど、どちらかというと個人的な思いを聞いてみたいと思った。そこが見えないから、なんかつまんない、息苦しい、と感じるのかもしれない。

そう思って質疑応答の時に聞いてみたら、校長先生からは、「社会に出た時に困らないような力を身につけさせたいです」という言葉が返ってきた。「困らないように」2連発だ。学校で、社会で、困ら「ない」ようにして、何が「ある」ようにしていきたいのか。…聞きたかったけれど、聞けなかった。

校長先生の回答を聞いて、「これじゃあテンション上がらないよなー」と思った。でも、わたし自身が「困らないように」を行動の基準に置いているときだって、たくさんある。これは、外側から単純に責めることはできないんじゃないか?

そんなことを考えながら帰宅したらちょうど、小3の兄が「下校班でのきまり」を作成中だった。「〜しないこと」全20か条のべからず集だ。教育の効果は恐ろしい。


校長先生とわたしは同じなんだと思う。(そしてもしかしたら兄も)。
実は来ないかもしれない「困る」に対して、防御したり回避したりしようとする。それとは別に心のどこかで「これがいい、こっちがいい」という願いは持ってるんだけれど、それは言葉になっていないし、前に出てきていない。そうやって、本当はあるはずの宝物が、いつのまにか埋もれていっている。

その、表現していない願いの部分を、これから話していきたいと思う。校長先生とも、担任の先生とも、親同士でも。「学校創立の志」なんかなくて、ビジョンが見えにくい公立小学校だからこそ、そういう対話が根づいたら面白くなるんじゃないかな、と妄想している。