子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

良い子でも悪い子でもない

朝からどうも機嫌の悪い兄。
きっかけはたぶん、早起きして宿題するつもりだったのに
起きられなかったこと。
慌てて宿題を片づけることになって、焦って嫌だったんだろう。

リビングの机の上に宿題が出したままになってて、
それを夫に指摘され、
「あーあ、足が痛い…」とか言いながら片づけに行く。
食器を並べるように言われて、
「弟が見てくるから並べる気なくす」と動かない。
「そうやって他のことに話持ってくのやめてくれるかな」
と、夫が超いやそうに言う。
(ちなみにこういう時のストレートさというか
「心からやめてくれって思ってる」感の出し方が
夫はすごい。言葉に嘘がないというかなんというか)

食事中も、弟がにやにやしてると難癖つけたり(ヤンキーか…)、
食器をわざと乱暴に置いたり。
ワルい感じがどんどんどんどん募っていく。
今朝はうまくいかないことが続いて、
もうすっかり「ぼくは悪い子だ」ってところにいて、
そこから物を見たり、動いたりしてるんだな…と思う。

その仕組みについてはこれまでも何度か話してきてる。

お小言を言われて、責められてる、って感じるよね。
その時言われてることは「それをしないで(して)」と
いうことだけなのに、いつのまにか頭の中で
「ぼくは悪い子なんだ」にすり替わってしまうことがある。
なぜかというと、その方が実はちょっと楽ちんだから。
でも本当は君は悪い子じゃない。良い子でもない。ただの君だ。
ただの君が、悪かったり良かったりすることをしてるだけ。
この2つは違うものでしょう?その区別をもったらいいよ。
「ぼくは悪い子なんだ」だと、直せるなんて思えないでしょ?
でも、して悪かったってことは、やめればいいんだから。

わたし自身がその区別が苦手だからというのもあり、
少しずつ、何度も話している。
だから兄も、仕組みとしては理解している。

「また悪い子モード入ってるでしょうー」
と言ったら、ようやく顔を上げてこちらを見た。

もちろんそんな風に子どもを見られないときも多い。
子どものつくる「ぼくはだめなんだ」のストーリーに
こちらもすっかり飲み込まれてしまうこともある。

今日わたしがそうやってまず観察から入れたのは、
夫が先陣きってくれたから(笑)。
そのサポートがない時には、自分がまず心の中で
先陣を切る必要がある。
先陣を切って、それから、よく見る。

こうやって見てみたら、
「朝起きられなくて不機嫌になる」
なんて、健気すぎて愛おしいくらいの話だ。
「悪いこと」なんて何一つ起きてない。
(バカだなあーもう、とは思うけど。)

見ることさえできれば、必ずそこに戻れる。