子ども観察記+α

兄(10歳・小4)と弟(7歳・小1)の、日々の観察記録と、+αの記録です。

いないと困る

家で餃子をするとき、100個つくるようになってきている。単純に考えてもひとり25個・・・と思うとちょっとめまいがするけど、毎回なんだかんだと完食している。

今日は餃子の日、と先週から決まっていた。しかし、夕方になっても子どもと夫が外出先から帰ってこない。しかたないのでBSで大河ドラマを見つつ、ひとりで包み始めた。ところがなかなか終わらない。100個って果てしない・・・と思ってから、そうか、子どもたちの手がないからだ、と気づいた。

ふたりが餃子包みの手伝いをするようになったのは、何歳の頃だっただろうか。小さな手には皮が載りきらず、皮をお皿に置いて、具を入れるようにした。具をたくさん入れすぎたり少なすぎたりでロシアンルーレットみたいだったし、水をつけて閉じることの意味が分からずべちょべちょにぬらしてやぶいちゃったりもしたし、ちょっと目を離した隙に「みて、ピカチュウ型!」とか「アメフラシみたいー」などと言いながら自由に折りたたみ出すので焼きにくいことこの上なかったりもしたけれど、それでも餃子にするたびに声をかけ、一緒に包み続けてきた。

じょうずになってたんだな、いないと困るくらいに。

今夜の、わたしがひとりで包んだ餃子は形がそろってきれいだったけど、うちの「いつも」とはどこか違うものになってしまった。

俳句男子

私立学校の学園祭に行ってきた。息子のつきそい、という形ではあったけど当該の息子Aとは早々に別行動となり、息子Bを連れて、密かにお目当てだった俳句部の展示に行く。

近年、俳句の世界に若い人が増えている。「俳句甲子園」の影響が強いのだそうだ。訪問した学校は強豪校らしく、全国大会の模様をVTRで流していたり、大会提出句が掲示されていたりと、掲示も見応えがあった。

ふと気づくと、息子B(小1のほう)が受付のお兄さんに何か話しかけている。近づいてみると、「ぼくも家で句会するんだよー」とフランクに話しかけていた笑。

夏休み中、句会をしてみたい、と息子たちに請われて家族四人で句会をしてみた(それをぜひ自由研究に、という親の目論見は外れた)。夏井先生の「プレバト」仕込みで基本のきまりは承知している。席題3つで、子供たちは割とさくさくと作っていた。夫が一番苦労していて、結局投句できずだった。最高点は息子Bの句についた。

受付のお兄さんは小さい子に優しく、「どんな俳句をつくったんですか?」と息子に聞いてくれている。これこれこう、と披露すると、「いいねー、音が入ってるのが上手」とほめてもらっていた。「秋の日に、って言葉を一番下にするともっとかっこいいかも」とアドバイスまでもらっていた。

「ぼくもやってるんだよ」って話しかけられるのっていいな、と、息子のことがちょっと羨ましくなった。

わたしだったら、相手に比べて自分は下手だからとか素人だからとかランクづけしちゃって、そんなこととても言えない。大人だし。でも、そんなこと気にしないで「仲間だね」っていうところから表現できたら、ランクを超えたやりとりができる。世界が広がる。

お兄さんとの会話がかなり嬉しかったらしく、帰り道、発言がついつい五七五になっている息子を眺めながら、そんなことを思った。

めっちゃこわい担任の先生にごめんなさいって言うまでの話

小4長男の担任の先生は、子どもから見ると、「めっちゃこわい(でも好き)」という存在だ。黒ずくめの服にゴールド系のアクセサリーをあしらったいでたち。ちょっとがらがらした声で、早口の関西弁。小学生からしたら、けっこう迫力満点だよなあ、とお会いするたびに思う。(保護者にはソフトです。大人でよかった・・・)

その先生に、謝らなくてはならない事態が生じたらしい。
「先週、先生が、ぼくが名札なくしたのに気づいて新しいの書いてくれたのに、見当たらない」と悲痛な面持ちで訴えてきたのが連休最後の月曜日の夜のこと。火曜日に登校して探し回ったが、やっぱりないという。

どうしたらいい?と珍しく聞いてきたので、何が問題だと思ってるのか聞いてみたら、「なくしたことを先生に言って、謝るべきだと思うけど、怖い」と答えた。謝るって何を?と尋ねると、だってせっかくつくってくれたのを無駄にしたってことじゃん、と答える。なるほど。「せっかくあげたのにがっかり」って反応返ってきそうなのが怖いのかな、とさらに聞くと、そうそうそれ、と言う。先生怒るかなあ?と聞かれるが、答えようがない。わたしは先生じゃないし、ほんとうの問題はそこではないと思うから。

「でもまあ、それでも謝ろうって思うなら、チャレンジだねー」と励ましてみたが、結局言えずに水曜日、木曜日と過ぎてしまった。言いそびれているうちに、だんだん長男の中で事態が深刻化してきているのを感じる。

今朝に至っては「もう学校行くのが気が重い」と言い出した。いやー、すごいわかるわそれ。早く言っちゃったほうが楽なのに、言えないんだよねー。と同情しかけたところで、ふといいことを思いついた。

わたし「よし、じゃあちょっと練習してみるか。あたしO先生やるね」
長男「は?」
わたし(リビングのドアから登場しつつ)「は”い”お”は”よ”う”ご”ざ”い”ま”ーす”」
長男(爆笑)
わたし「笑ってない!会った瞬間がチャンスだから!後になるほどどんどんきっかけつかめなくなるから!はいじゃあもう一回」
わたし(再びリビングのドアから登場しつつ)「は”い”お”は”よ”う”ご”ざ”い”ま”ーす”」
長男「先生、先週もらった名札のことなんですけど(笑)」

見ていた夫はあきれて笑っていたし、長男も結局笑いが止まらず練習にはならなかったけれど(笑)、ちょっと気が軽くなったようで、「言えそうな気がしてきた!」と言い残して登校していった。

先ほど、「言えたよーーー!!!」と言いつつ帰ってきたので、「おおーよかったねー!!!」と息子のちいさなチャレンジ成功をお祝いした。

「家勉」のよさ(学習効果以外の)

夏休みあたりから、子どもたちの家庭学習に関わるようになった。

学校の宿題以外に、今、弟くんは市販の問題集を1ページずつ、兄くんは塾の宿題をやっている。

関わるといっても、一緒にテーブルについてお茶飲んだり本読んだりしながら、丸つけをしたりわからなかったところを確認したりする程度だけど、なかなかいい時間になっている。学習効果としてよりも、コミュニケーションの上でも共通の話題、共通の時間ができるのがいい。

「学校であったこと」や「仕事であったこと」を話し合うって、簡単なようで難しい。面白いトピックが毎日起こるわけではないし。今日知ったり体験したりしたことを話し合うとっかかりとして、勉強は案外使えると思う。

問題をときながら、授業の時に先生がこんなこと言ってた、という話になったりする。○○くんは円周率2分間言えるんだよー、とか。「今日どうだった?」と聞くより、いろんな話が出てくる。

間に何かをはさむことで、話が弾むというのはよくあることで、夫と子どもたちは野球か将棋の話で盛り上がっている。そのどちらにも疎いわたしは、勉強を間にはさむことで、子どもたちとのおしゃべりを楽しんでいるんだと思う。


本当に友達と遊びたい?

「友達が遊びに入れてくれなくて、休み時間一人で過ごしている」と弟くんがこぼしたのが先週のこと。少し気がかりだったが、そのあとは割と「今日Aくんがさー」などと友達の名前が普通に出てくるので、まあそんなに心配することないかな、とも思っていた。

昨夜、再び「Bくんに『あそぼう』って言ったのに、いやだって言われた」と弟くんが言うので話を聞いていたら、横にいた兄くんが

「ちなみにぼく今日1年生のクラスに行ってみたんだけどさ」

と言った。聞いてみると、同じクラスの、同じく1年生に兄弟のいる女の子に誘われて、一緒に弟たちの様子を見に行ったのだという。

たしかに教室にいなかったね、どこいたの?図書館に行ってた、などというやりとりを聞きながら、1年生の廊下から弟を探す4年生チームの様子を思い浮かべてにやにやしてしまった。

「え、ぼくのためにわざわざ来たの?」と嬉しそうな弟くん。兄くんは、だって先週も、ひとりぼっちだって言ってたじゃん、とあたりまえのことのように答える。

「で、弟くんは本当に友達と遊びたいの?」

と兄くんがふと尋ねた。Bくんには断られて残念だったけどさ、他の友達を誘う手もあるかと思うんだけど。

「いや、Bくんとは遊びたかったけど、他の友達とは別に遊びたいわけじゃない」と弟くんは言い、何かに気づいたようだった。「あ、そうか!」

「ぼく、友達と遊びたい、っていうの、実はあんまり思ってない。昼休みは静かに過ごしたい。図書館行くとおちつくんだよー」

Bくんも静かにすごしたいから、ぼくに遊ぼうって言われても断ったのかもしれない、とつぶやいた時には、弟くんは、もうすっかり晴れ晴れした顔をしていた。

それが昨夜のこと。「弟くんは本当に友達と遊びたいの?」って、いい問いだな、やるな兄くん・・・と今朝も思い出している。「あ、そうか!」という弟くんの明るい声が、耳に残っている。

なけてくる

小1次男のクラスでは毎日音読の宿題が出る。ほんとうは教科書のどこを読むか指示があるのだけど、ずっと同じ単元を読んでいると飽きてくるので、好きな本を読んでOKにすることもよくある。

今日次男が選んだのは「宇宙探検365話」。小惑星探査機はやぶさについて書いてあるページを選んで読み進めていった。最後の方に来て急に声が途切れた。見ると、本を見つめたまま、ぽろぽろと涙を流している。

はやぶさが、さいごにもえつきるところを先に目だけで読んじゃって、なけてくる」

と小さな声で言うと、ふとんに転がりに行ってしまった。


次男はこんな風に泣くことがたまにある。なるほどそれは悲しかったねえ、と思うこともあれば、どこがツボだったのかすらわからない時もある。小さい頃泣き虫だったわたしは、「えっなんで泣いてるの?」的なリアクションがいちばん堪えたことを覚えているので、次男がそういう風に泣く時には、余計なことは言わず、努めて静かにしている。なんだかよくわからなくても、そのままにしておく。

はやぶさ」の章はこんな風に閉じられていた。

「地上からは、バラバラになりながら美しい光をはなってもえる、はやぶさのすがたが見えました。七年間、六十億キロメートルにおよぶ旅のおわりでした」

次男には、遠く燃え尽きていくはやぶさと、それを万感の思いで見守るチームの姿が見えたんだな、と思った。

パワーの出し方

10日ほど寝込んでいた。

胸と下腹部が痛くて起き上がった体勢を維持できない。うつらうつら寝ては目が覚め、いったん覚めると頭が冴えてしまって眠れなくなり、いろんな人のブログやtwitter(主に井伊谷周り)を回遊しては、疲れてきてうとうと寝て、の繰り返し。頻繁に見すぎて各ブログやらツイートやらの更新頻度と合わない。それで、新しい情報がなかなか上がってこないことに苛立ったりしてた。別の意味での病みっぷりに夫もややひいてた模様。

自分の中にある「面白い」という刺激に対する貪欲さと、それを他人に提供させようとする時の横暴なパワーをじわじわ感じた。ほんとつまんなくてぐったりした毎日だったけど、それを感じられたのはよかった。

元気になったら、面白いと思うことをもっとどんどんしよう、と思った。面白いことも、やってみたらなんだこれぜんぜん面白くなかったわってことも、イライラして爆発寸前になるようなことも、ドキドキしちゃって身の置き場もないようなことも、自分からしようと思った。

そういえば夏の間、わたしは変に落ち着いて暮らしていたんだった。仕事は時間内に切り上げ、部屋は涼しく整え、きちんと料理をつくり、空いた時間には、子どもたちの勉強をみたり一緒に遊んだりして過ごしていた。そんな風に穏やかに丁寧に暮らしているうちに、少しずつ元気がなくなっていってたのかも。何かに夢中になりすぎて部屋がやや乱雑、ぐらいな時が、わたしは一番元気でいられるのかもしれない。

そんなことを考えられるようになり、ぶじ熱も下がってきたので、さあさあさあ、と思っている。気持ちはとてもすっきりしている。